「静かな大地」を遠く離れて
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題:9話 煙の匂い9 画:シジミ×3 話:「北海道では撃剣も何の役にも立たないな」(父の兄)
どうもこの日録は「書き過ぎ」のようで、我ながら尤もな話だと思う(笑) 昨夜にしたって、過去の文章を引用する前までの部分で充分普通の日記かも。 休日のカフェの話とか、ああいうのも意外と「需要」があるようだったり(^^;
今のところ池澤系?のサイトでのご案内はしていなくてクローズドなのですが 僕個人および知人関係から、もしくは新着やランキングから飛んで来られる方 もあるようです。身の回りの池澤ファンに教えてあげても、あんまりこの日録 にシンクロしてくれる方はいらっしゃらないかな・・・と思います。 ちょっとアプローチの仕方がね、「濃い」ですからね(^^;
さて、海への想いと、撃剣の道。これはもう坂本竜馬の世界でしょう。 「龍馬伝説」は虚像にすぎない、という立場もある。 薩摩のエージェントとして働いただけの人物だ、という見方。 西暦2000年の年の暮れ、僕は高知に居た。 一代前の先祖は四国の出なのだけど、僕は高知には行ったことがなかった。 その前の年、すなわち1900年代末の年末年始はアイルランドに居たのだが 今回はそれほどの時間的余裕もなかったし、会いたい人もいたので出かけた。 出不精で人見知りで怠け者だと自分のことを思うのだけど、 思い立つと途方もないことをやってしまうのも、反面の性格としてある。 「三年寝太郎」「ものぐさ太郎」の民話の分析をした小松和彦先生なら、 こういう人種の存立要件を簡単に列挙してくれることだろう(笑)
その小松先生が研究テーマにされてきた“憑き物筋”だ“いざなぎ流”だ、 そういう呪術的世界が存続している、というイメージが高知にはある。 横溝正史、つのだじろう、板東真砂子の三氏に責任が問うべきか?(^^; だいたいが四国というのは奇怪な国だ。「さぬき、いよ、あわ、とさ」という 四つの国名からして、大和言葉で解けないのではないか? 「静かな大地」で舞台になっている淡路は阿波の蜂須賀家と微妙な関係にある。
それはそうと坂本龍馬だ。 やはり司馬遼太郎『竜馬がゆく』の力に負うところが大きいだろう。 たしかにあれは読んでいて幸福な読み物だ。 「耽読した」と言える読書体験はそれなりに沢山あるけれど、 あの本を読んでいる期間の幸福感は他で感じたことのないものだった。 単にとても面白い本だから寸暇を惜しんで読んだ、というだけではない。 司馬作品にも、他の人のものにもない、サムシングが宿っている作品だ。
歴史の表舞台に躍り出て八面六臂の活躍をしはじめてからも面白いのだが、 江戸の千葉道場のあたりをうろうろしている無名時代が何とも楽しい。 読んでいるうちに、つい「土佐っぽ」言葉の真似をしてたりして。 普段は一人じゃアルコールも飲まないくせに、急に日本酒に走ったり。 龍馬の魅力はきっと、様々な立場のドグマティックな思想の狂熱の時代に、 独り天が抜けたように「自在」であったこと、なのだろう。うむ。
土佐の風土、海に開かれた国、なんてことで説明しようにも龍馬の個別性は 際だちすぎている。あの土佐から、龍馬は一人出ただけだ。 しかしそういう背景的説明を信じたくなる要因としてジョン万次郎の存在がある。 これを話だすと長くなるので今夜はやめておくが、僕はジョン万次郎が暮らした アメリカ東海岸マサチューセッツの町フェアヘイブンまで、去年出かけた。 このニューイングランドの旅こそ、池澤御大と北海道をリンクする特異点だと 言い張っていたのだが、なかなか理解されない(^^; ひとまずメルヴィルやソロー、それにクラーク博士やケプロンらの名前を 挙げておくにとどめよう。ボストンもナンタケット島も楽しかった。 そのあとワシントンDCへ行ったのは、オキナワの地政学的“対蹠地”を 見ておきたかったからだったりする。世界を統べる意志としてのアメリカ。 国立公文書館とか見て盛り上がれるのも、かなりの特異体質だろう。 以上は、余談である。(<司馬風 笑)
桂浜の夕景を味わったあとで、地元の龍馬党の方の経営する店へ行った。 贔屓の劇団キャラメルボックスが「また会おうと龍馬は言った」という演目を 持っているのだが、カウンターでそんな話をしてたらご主人が割り込んできた。 店の奥に上川隆也さん以下、劇団のメンバーが来たときの写真がある! その話を皮切りに地酒を飲み、鰹のタタキを食べ(<美味い!)とても楽しく 過ごせた。龍馬党のご主人の目論見は、新たな時代の龍馬イメージを築くべく フレッシュな企画でテレビドラマを作るよう運動すること。
司馬竜馬を原作としたものはTBSが上川さん主演で作られたこともあるし、 きっとあの小説は“昭和”の龍馬像の究極だったという想いもおありなのか、 ぜひ非司馬原作の新作で、と力説されていた。で、役者はどうするか? ご主人は21世紀の龍馬イメージを真剣に、切実さをもって考えている。 ここらで、今後も古びない、愛される龍馬像を明確にしたいらしい。 さて誰か?・・・名前があがった。香取慎吾。
うむ。よく考えてみる。 日テレで「蘇る金狼」をやった。身体はできているし、乙女姉さんに対して シスター・コンプレックスっぽい、龍馬の甘さの部分の感じも充分にある。 女にも男にも滅法好かれた、共通イメージの龍馬にハマるのではないか? そこらのプロデューサーより、ちゃんと考えている、それだけ一生懸命なのだ。 もう少し歳をとってからの方が良いかもしれないが、今でもできる。
高知を訪ねたあと、関西にある実家へ行った。 トウキョウへの帰りの新幹線に乗るために京都へ出て、そこで人と会った。 数時間だけの滞在で食事時間を除けば、訪ねることが出来るのは一カ所が関の山。 そこで訪ねたのが、東山の霊山神社にある龍馬の墓だった。 京都の街を見下ろす、見晴らしの良い場所にある。あの坂は良い。 またそのうち訪れてみよう。 『竜馬がゆく』を読まれた方は、北海道についての記述をご記憶だろうか? そこを読み返してみて欲しい。 そうすれば、もし暗殺されずに存命して「世界の海援隊」を切り回す龍馬が、 維新後の北海道にどんな視線を向けたか、想像したくなるはずだ。 薩摩出身の官僚たち主導の開拓とは異なるヴィジョンを描いたかもしれない。 ありえたかもしれない、もうひとつの、あるいは千の「静かな大地」。 まずそれを、現実の北海道の彼方に幻視するトレーニングをすること。
#あ〜あ、結局結構真剣に書いてしまった(^^;
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