P-diary
Piccolo,Play,Practice,Pleasure,Process,Pray,…Precious!

2001年09月11日(火) 「劇表現」

「表現する」

※30分ほど遅れて参加。

◎10人くらいが黙って舞台中央を自由に歩く。
合図などは無しで、「気持ち」を合わせて、全員で止まる。
また、「気持ち」を合わせて、歩き出す。
それを何度か繰り返す。

…途中から参加したので、始めは「?何してるの?」っていう感じだった。
結局二組くらいしか見られなかった。
が、段々面白くなってきた。始めは、“ああ、あの人の動きに合わせてみんな動いてるかな”ってのが見え隠れしていたけど、段々“ふわっ”と止まったり動いたりする感じになってきた。
ただ、そうなると今度は逆に、もっと上手く合わせようという“邪心?”が芽生えて、探り合うようになって、逆に息が合わなくなってくるようだ。

最後に2,3人でその時の感じを交換しあった。
私は参加できなかったので、その時の「感じ」を感じることは出来なかったのだが、話を聞いた松ちゃん曰く、「第六感」で感じるらしい。ホントかいな。
他の人は、「空気」「気配」「足音」などなどをあげていた。
いずれにせよ、力を入れすぎず、感覚をとぎすませていれば、ちゃんと「何か」を感じることができるようだ。
言葉は、必ずしも必要ではない。

◎二人組で、目に入る物・感じるものを次々と相手に伝えていく
「黒い幕・細い紐でくくってある・床に白いビニールテープ・靴が散乱している…」って感じで。

…始めは、何が目的か、何をしているのか、分からなかった。
で、私は個人的にヘロヘロだったので、眠いだの目がしょぼしょぼするだの、そんなことしか伝えられなかった。

これは、「同じ物をみて、同じ環境に身を置いていながら、見ているもの感じているものが いかに異なるか」ということを確認する作業だったのだ。
舞台の上で、同じ物を見ているはずなのに、何かを比較しながら見ている人、目に入る物全てに興味を示す人、小さな物に注目する人、大きな物に注目する人、自分のことでいっぱいの人(私だ…)、、、どれもが面白い視点だし、間違った物を見ているわけではない。
金子みすずの「みんな違って みんないい。」じゃないけど、それぞれの独自の感性を大事にしていいんだ、ということを教わった。


◎小品に向けの班別練習

オープニングのあやとりの練習。
珍しく10人揃ったので、初めての挑戦。
大きく広がっての練習で、他班に迷惑をかけたかも…。


◎二班発表

「演じよう」としてはいけない。
どんなに役になりきっても、必ず「その人らしさ」が出てくる。
それが、生の舞台のよさ。

客席に「熱」が伝わってこない。


★久しぶりの授業、個人的な事情や、遅れていったことなどで、私自身テンションがあがりきらないまま終わってしまった。
でも、改めて、演じることの根本に触れたような授業だった。


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