P-diary
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2001年06月02日(土) 「朗読」第一日目

『開眼。』

教材:「ういらう売りせりふ」「詩・生きる(谷川俊太郎)」


今回の二日続きの授業の教材は「うりらう売りせりふ」。
おそらく、芝居をする人間なら、一度は出会う教材だろう。
私自身高校時代にであい、以来なにかとお世話になっている。

まず最初の授業は、大半を教材の説明に使われた。
短く切って、それを私たちが反復し、注釈を受ける。
私がやってきたものとは少し違っている部分もあり、アクセントなども違っていたりして微妙にやりにくい。
はじめは、ちょっとうっとおしかった。

が、だんだん面白くなってくる。
今まで、足かけ10年くらいつきあってきた「ういらう売り」がいかにいい加減だったかを思い知る。
とにかく「カツゼツ」のために練習として与えられたので、意味を考えたことはほとんどなかった。
たしかに、今まで自分がやってきた「ういらう売り」は意味も分からずやっていた。味も素っ気もなかった。
それに色が付いていく。それによって、読む上で気をつけなくてはいけないこともはっきりしてくる。
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“メモ1より”

◎「拙者 親方」は切らない。…拙者の親方は、という一続きの語。
◎「お江戸を」「青物町を」など“-O+O”と母音が続く場合、音が消えないように。(「第一」、なども)
◎「取り出す」(トリンニダス)…“tori+n+idasu”→“n+i”=“n+ni”という変化を連声(れんじょう)という。
 そのほか「ごしゃめんあって」(ゴシャメンナッテ)とか。
◎「頂 透く」…頭がスッキリすると言う意味。となると、アクセントも違ってくる。
◎「正真の胡椒の丸飲み」…なんの意味もないこと。
◎「銭独楽が裸足で逃げる」…“玄人はだし”とは、“玄人がはだしで逃げ出す”の略。
◎「ハマの二つは唇の軽重」…昔は、“ハ”の音は“ファ”って感じの音だった。F音ほど唇を噛むわけではないが、軽く唇が触れる感じ。なので、“ハ”と“マ”の違いは、唇を軽く合わせただすか、しっかり合わせてから出すかのちがいだったので、このような言い回しになった。但し、今は根本的に音が違ってしまっているので、現代に合わせた形で「パバマ唇開け閉めて」に変えた。

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一日目の最後に、先生がお手本で読んで下さった。
その時に気付いたこと。

◎鼻濁音と普通の濁音の「ガ」。
自分で言うときはものすごく曖昧で、違いが分からない。生徒さんの発音したものも分かりにくい。が、先生のは、明らかに違う。何がどうちがうのか説明できないが、タシカに違うことが分かる。
特に、気になっていたのが「盆米」の“ゴ”は鼻濁音のマークなのに、「盆牛蒡」の“ゴ”は普通の濁点であること。注意して聞いていたが、やはり区別されていた。ああ、違う音なんだ、ってのがよく分かった。

◎口の動き
カツゼツの練習に使う位なのだから、一音一音明確に、メリハリをつけて、口をしっかり動かして読まなくては…と思っていたが、先生の読み方を見ているとあくまでも自然体。寧ろ、口の動きは小さい。大きく開くと言うことはほとんどなかったように思う。
でも一言一言がはっきり聞こえる。一音一音が明確。
(これについては、翌日の授業で言及。口の外側を動かすことより、内側を柔らかく使うことの方が大切。)

◎言葉の意味
単なる言葉遊びの、意味のない言葉の羅列、と思っていた「ういらう売り」がちゃんと意味を持った台詞として伝わる。声を出すのが、言葉を発するのが楽しいという感じ。初めは一生懸命教材を目で確認しながら聞いていたが、だんだん先生自身から目を離せなくなり、気付くと凝視していた。

※なぜ「盆米」「盆牛蒡」の「ゴ」は、同じような条件でありながら“鼻濁音”と普通の“濁音”の違いがあるのか。
言葉の結びつく力の問題。
例えば、「学校」と言う言葉の“ガ”も、「中学校」「小学校」の時は鼻濁音だが、「高等学校」「音楽学校」などの時は、鼻濁音にならない。
それに似ている。
「米」は「〜米」と言う言い方が結構あるので結びつきやすく、鼻濁音になりやすい。「牛蒡」はあまりないので…というような問題かな。


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