c.j.の思いつ記
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| 2002年04月05日(金) |
未知のこと、既知のこと |
REVIVAL2です。
"未知のこと、既知のこと"
人の尺度は、さまざま。 ある人の100は、ある人の60かも知れない。
感じ方、思い方もさまざま。 激しく燃える炎もあれば、静かに燃える炎もある。 だけど、見た目や形でその温度は測れない。
人は、自分の知らないこと、わからないことには、 警戒する、不安になる、自信がなくなる。 でも、それと同時に、幾ばくかの好奇心、期待、探究心がおこる。
知らない(理解出来ない、してない)事を未知という。 それは、未だ知らずということ、 それは、これから知る(理解する)ことができるという可能性を意味している。
既に知っている(理解している)ことを、既知という。 自分の知らない(理解できない)こと、既知の外のことを、既知外(キ○ガイ)、 と排除するのは簡単なこと、でも、それは自分の可能性を否定すること。
100入る箱を70しか使ってないのと、 80入る箱を使い切ってそれ以上いれていくのと、 どちらが良いかは別にして、 (ちょっと詭弁くさいけどプラス思考ってことで勘弁)
使っていない前者は、100あったものが、 90のキャパシティになるかもしれない、 使い切ってる後者は80のキャパシティが85になり、 更にいれれるようになるかもしれない。 自分に限界を作った時点で、成長は止まってしまう。
諦めるとは、明らめるということ、 自分がどうすればよいかということを明らかにすること。 決して、止めることではない。
辛いものの嫌いな人に、どんなに上手いカレーの説明をしても、 本当のよさは伝わりにくい、 転んだことのない人に、転んだ人の痛さはわからない。 でも、それをわかろうと努力すれば、10のうちの一つでもわかれば、 そこから10までは決してそう遠くはない。 0から1までが一番難しい。
伝え手の情熱も必要かもしれないが、 聞き手の情熱には及ばない。 そのために伝え手は、自分の熱意より、 聞き受けやすい、環境を如何に作れるかが重要だと思う。 (まあ、熱く語るのも必要だけど。こちらの考えてる以上になかなか伝わらないもの、ケース バイ ケースといえばそれまでだが・・)
如何にお客さんに楽しんでもらえるか、 全てはそのための手段に過ぎないと思う。 それで、自分たちも楽しめればそれに勝る至福はないと思う。
でも、逆説的になるけど、自分たちが楽しめないのに、 お客さんが楽しめるってことは、まずほとんどありえないんだと思う。 (楽しさや、つまんなさって伝わるからね)
そこで、アーティスティックなジレンマが生じてくるんだけどもそれはまた今度。
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