新世紀余話
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2007年01月28日(日) |
映画『南京』は、視点が新鮮なドキュメンタリーのようだ |
予想されたようなものとは違う内容らしい。 大勢の中国人を殺す日本軍を描くのでなく、逆に、日本軍から大勢の中国人を保護した人々を描くものだという。 そう、安全区で活動した国際委員会の面々が主役なのだ。
映画「南京」 サンダンスで初公開 際立つ「日本の残虐性」 http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070126/usa070126000.htm
例によって、なんでも中国の陰謀と結びつけたがるサンケイの偏向ぶりときたら、現代日本の恥部を体現してあますところなしだが。 そうした報道からでも映画の真実は垣間見えてくる。
さすがアメリカ人、作戦がスマートである。 たしかに、「いくら殺した、いや殺さない」といった不毛な論争より、このやり方のほうが皇軍の実態と罪の規模というものを際立たせてくれる。
あのとき、安全区で国際委員会が健闘しなかったなら、どうなっていただろう? 記録に残るよりも日本兵が紳士的に振る舞うなど期待できなかったことを思えば、委員たちの功績は偉大である。 彼らは、いまならばノーベル平和賞の授与が確実なほどの大仕事をやり遂げたのだから。
私は肯定派というより、史実を素直に追認する者だが、これまで、皇軍の罪科を追うあまり、現場にいて父祖たちの罪を命懸けで食いとめた功労者らを過小評価していたのに思い至らなかったとは、悔恨というしかない。
たしかに、肯定派は罪をなした者と犠牲者にばかり目を向けてきた。 そして、善き人々を讃えることを忘れていた。 胆に銘じなければなるまい。
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