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ラヂオスターの悲劇
トマーシ
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2003年05月05日(月)
meiden voyage

 なんやろね。急にモクモクとこういう気持ちが湧き上がってくることもある。勿論それだけでは何も形を成さんのやけれど。

 書きたいね。ドキドキするわ。今日は嫌になるほどよう寝たし、起きたら夕方、テレビつけたら白装束や。何か啓示でも求めて日記をつけてみるべきかな?そんな気持で登録してみたんやけど。自分が力点の弱い壁に向かってもたれがちになっているようにもみえるね。強い気持ちだけが良いものも悪いものも作り得る。僕は自分の小説をどうしても書きたい。良い小説じゃなくてもいいよ。素敵な小説を書きたい。強い気持ちってそれしか思い浮かばへんなぁ。
 
 良い小説って、あんまりうまく想像できへん。僕の好きな小説って、それほどスマートやない。せやから良い小説をあげつらうのはちょっと無責任やろね。
 
 素敵な小説って尊敬できることが結構重要な要素や。自分の全て預けてしまえるというか。そんな小説に逢うと僕は涙がポロポロポロポロ出てきてしょうがない。読後嘆息してビクとも動けず。そんな感じやね。

 トマス・ハーディみたいな姿勢を矜持したいな。僕は昔からこの作家のことが好きなんやけど、なんでこんなに泣けるんかは不思議や。同情したいって気持ちが多分僕の中にあるんやと思う。読むと素直に「可哀想に。」という言葉が口を衝いて出る。それって結構すごいことだ。「可哀想に。」なんて、ひどく危なっかしい言葉やから。偽善っていうかね。多分その言葉に対してはみんな神経質になってる。自分がリアルじゃないって気になるのかな。でも僕は本を読みながら同情してしまうのは止められへんね。求めてるわけじゃないけど、その感情に対しては「可哀想に。」と呟くのが限界や。それは現実世界であまり使われる言葉では無いからか、グッとくるものがある。その意味での知覚の拡張って、普通の作家ではあまり味わえない。しかもその感情って使ってなかったらすぐに衰えてしまうような気もするんや。
 ハーディの小説って決して読みやすくないし、スタイルも古臭い。筋も言ってみれば典型的。でも僕はハーディのモラリズムは高く買ってる。自分もこういう小説を書きたいってそう言う意味でのこと。つまりは僕の護符やね。忘れたくないものって、多分無意識的にもいっぱいある。