ナナとワタシ
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ある日の電話より。
「じょりぃに対する気持ちってさ、子供に対する気持ちに似てる気がする」とナナ。
「子供?」 よしよし、ってことでしょうか。頼りないってことでしょうか。
「うん。あたしは子供に対して、お互い、甘え合って、ああしてほしいとかこうしてほしいとか、いろいろなエゴとかあっても、最終的には『健康で幸せに生きててくれればそれでいい』って思うのね?」
「うん」
「そう思うよ、あたしは。じょりぃに対して。 子供のことが心配で、手を出したいけど出せなかったり、逆に手を貸してほしがってるのにそれができなかったりするじゃない? でも、いろいろあっても最終的には健康で幸せにしててくれればいいんだってお互い思えるようなさー・・・ わかんないか。この例え(笑)」
「わかんない気もするし、わかるような気もする」 すごく嬉しかったんですが、こんな答のじょりぃ。
「そっか」
ナナはちょっとだけ恥ずかしそうに笑っておりました。
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ええと、「手紙で一悶着」という事件(?)があったときに、お互いの誤解が解けたあと、ナナがワタシに話してくれたことです。 なんと言いましょうか、簡単に言ってしまえば感動いたしました。 ナナがワタシにやさしくしてくれている文章をアップしても誰も喜ばないような気がして今までスルーにしていたんですが。 とはいえ、今までも引用のようにちょろっとだけ、このフレーズ出てきたことあるんですが。
年末に拗ね拗ねモードになっているときに、このときの言葉を思い出せばよかったな、なんて。 というか、実は思い出しはしたのですが 「ああ、あの頃はこんな風に言ってくれてたのにな」という、大変後ろ向きな思い出しかたをしておりました。 ダメ人間じょりぃ。
ワタシはナナよりもエゴが強いので 「幸せじゃなくてもいいから、生きていてほしい、例えワタシの手の届かない場所(物理的にも精神的にも)に行ってしまったとしても、ワタシが今いるこの世界から絶対にいなくならないでほしい」 なんて思ってしまうわけですが。 しかもまかり間違うと「なにがなんでも、ワタシのこと好きになってほしい。好きにならないなんて信じられない」とまで感情が突っ走ってしまったりするんですからねえ。 欲深なんです。ワタシ。
このときの電話のあとも、何かの機会にもう一度「じょりぃがあたしのこと嫌いになってしまったとしても、じょりぃがどこかで健康で幸せに、ちゃんと食べて寝てられればそれでいいって思える」と言ってくれたナナなんですが。 わあい、愛されてるのかも、と一瞬錯覚してしまいそうになりますが、よく考えてみると 「いーんじゃないの?あたしのことはどーでも。あんたがそれで幸せに暮らせるんなら。あたしは関係ないもんね」 という意味にも取れたりするので、うかつに「ぽー」っとなったりすると痛い目に合いそうです。
なので、心優しいかたも「ナナはもしかしてじょりぃのこと好きなんじゃないの?」なんて勘違いをしてはいけませんよ? しかもこういうときのナナは「ヤバイ!じょりぃを怒らせたかも!」ということで、かわいい女を演じている可能性も大です。 ホント、油断ならないんですから。
ごほん。
ひねくれた心を、いったんまっすぐに伸ばしてみます。
何より子供がいちばん大切なナナ、 それに近い気持ちだなんて言ってくれて、どうもありがとう。
と、本人の聞いてないところで礼を言ってもしょーがないんですけどね。 肝心の、言ってくれたときのワタシの返事ったら「わかんない気もするし、わかるような気もする」ですからねえ。 ナナも張り合いがなさそうですね。
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