前宮城県知事の浅野史郎が東京都知事選出馬を表明した。
もし当選すれば、知事経験者が他都道府県知事を務めるのは史上初めてとのこと。
当然の話で、それだけ「非常識」と言うことだ。
国政と地方政治ならそれぞれ別個の政治カテゴリーに属する。
従って、国政から知事へ、あるいは知事から国政に転出するのは、それなりの理由は成り立つだろう。
だが昔の官選知事じゃあるまいし、知事から知事へと渡り歩く正当性は一体どこにあるのか。
しかも首都の長官たる都知事と一介の地方知事では利害の対立すらある。
例えば石原が指摘したように、浅野は宮城県知事時代、「首都機能移転」賛成の立場であったが、都知事になったらどうするつもりなのか。
賛成・反対、いずれの立場に寄るとしても、宮城県民か東京都民のどちらかを裏切ることは間違いないのだ。
他にも整合性をつけなければならないことは山ほどあるし、どう転んでも変節漢、ペテン師の謗りは免れまい。
また、だらしないのは独自候補を担げず浅野に擦り寄るしかなかった民主党である。
とくにかく「石原は気に食わない、引き摺り下ろしたい」という一点張りに過ぎず、肝心の「東京のために何故浅野が必要なのか」という視点が全く見えてこない。
石原対浅野という構図で見かけだけは華やかになった都知事選だが中身は所詮空疎である。