連日のアテネ五輪の金メダルラッシュのおかげで、日頃、日本の国家はスキヤキソング!国は土ですよ!くたばれ国家至上主義、これでもくらえ慎太郎!と新宿御苑で都庁に向かってロケット花火を打ち上げている人達も、にわかナショナリストに転向し、日の丸を掲揚しているころでしょうか。 なにはともあれテロに見舞われることなく、無事平和の祭典が終わることを祈りたいものです。 ギリシャ(作中ではギリシア)はサキ司令の母君の国というだけでなく、アスラン空軍の訓練所があり、そこを舞台にした話もあって、エリ8にとってもゆかりの深い国ですね。 ギリシャでの話は、地上空母編と山岳基地編に挟まれ、交戦もなく、部隊の再編成と新兵の訓練に明け暮れるなど、戦闘と戦闘の幕間的な話の色合いが強いです。 長さ的にもさほど長くなく、山岳基地に移るまでのつなぎの印象が強いギリシャ編ですが、レギュラーキャラとなるラウンデルとキムの登場や、シン・カザマの代名詞的存在になるタイガーシャークの登場をはじめ、シンに心理的ダメージを与えるささやかな事件が起こるなど、内容的はけして薄くはありません。 いやむしろ、濃いといっていい。 シンはここ神々の国で、神さまが自分たちの見方でないことを改めて知ることとなるのです。そして、鉄の杯を血で満たすため神々の国に別れを告げて再び地獄に戻っていきます、今日はそんなギリシア編についてです。 まずはギリシャの訓練所の位置について。 アクロポリスの丘にそびえたつパルテノン神殿、実り豊かなオリーブ畑、紺碧のエーゲ海、ゼウス以下神々の住処する宮殿があるオリンポス山等々・・・いかにもギリシャらしい名所旧跡が登場し、旅情情緒たっぷりのギリシャ編ですが、この話の舞台となるギリシャの訓練所というのは、どこに位置するのでしょうか。これがどうしてなかなかよくわからなかったりします。 ちょっと作中の会話を拾ってみると ------------------------------------------- 「オリンポスの・・・山・・・か。」 「市内に出てもいいってきいているぜ。」 「交換台?テサロニキ1919・・・ここは?」「スパルタ3512・・・」 「車をまわしていたんじゃ、時間がかかりすぎる。」 「どのくらいかかる?」「2時間・・・ってところですね。」 「右に見えるのがサラミス島です。そのむこうがペロポネス半島」 「ああ・・・基地で一番大きなジェット・ヘリだ。」 「空軍の方ね・・・基地はどこなの?」「テサロニキです。」「カルキディ半島ね。」 ------------------------------------------- うーん、訓練所はテサロニキにあるってことでいいのかな。 シンはテサロニキに電話していたし、スパルタの農園に不時着したF-5を回収しにきた空軍の人も、基地はテサロニにあると言っていたけど、これがシンたちがいる訓練所のことでいいのでしょうか。 けれど、訓練所の前にはオリンポス山とおぼしき山がそびえているですよね。地図を見ると、オリンポス山はマケドニアとテッサリアの国境近くにある標高2911の山なので、テサロキニからだとちょっと距離がありすぎます。あんなに近くに迫っては見えないんじゃないでしょうか。 それに、ミッキーとシンは休日を使ってアクロポリスのパルテノン神殿に観光にいくのだけれど、それもテサロキニからだと、車でアテネの市内観光に日帰りで行くのは距離的にちょっと厳しいような気がする。パルテノンの夕暮れを見てテサロキニまで帰ってこれるものだろうか。音速で飛んでいるわけじゃあるまいし。それともやはりここはミッキーは“市内”という言葉を使っているので、彼らが今現在いる場所はアテネ市内あるいは近郊で、テサロニキとは別にアテネ周辺に訓練所があると解釈すべきなんだろうか。でもそうすると、オリンポスの山からさらに離れてしまうし・・・。うーん、よくわからない。 オリンポス、アクロポリス、スパルタ、テサロニキ・・・テレビの旅行番組のごとく、名所旧跡間をわけなく移動し、ギリシャ情緒をふんだんに醸し出しているギリシャ編ですが、実際のところ訓練所はどこにあったと見るべきでしょうか。 よくわからないとえいば、時間のほうも同様にはっきりしません。 エリ8の時系列は不明瞭なのですが、A‐88がギリシャの訓練所で部隊の再編成をしたのは、いったいいつのことなのか、これもまた諸説が別れるところです。 サキの「あのときさっさと ここにきていれば残り1年半・・・命の心配をしないですんだものを・・・」台詞からすると、1980年1月あたりになるはずですが、1980年1月は砂漠基地で新年を祝っているので、ここはサキ司令の勘違いということで、もうちょっと後の時期とみるのが適当なのでしょうか。 また、パルテノン神殿の土産物屋におかれている雑誌LIFEには1981の文字が見えます。しかし、81年とすると、シンがサインしたのが、1978年7月なので、この時点で最低でも2年半を超える兵役をこなしたことになってしまい、ちょっと兵役終了までの期間が短すぎることになります。 のちに山岳基地でベンディッツが除隊したとき、シンは生き残っていれば、あと1年ぐらいかなといっているので、この時点で1981年というのはちょっと未来すぎるでしょう。 どちらをとっても矛盾が生じ、迷うところですが、まあ、この雑誌は時空の歪で未来雑誌が店頭に並んでしまったか、スーパーフライング発売が実行されたか、印刷所の誤植ということにして、1980年1月以降1981年未満というあたりにしておくのが無難なところかな。矛盾が多くて、あちらを立てればこちらが立たず、時空の狭間に取り込まれ、亜空間に消滅してしまうので、深く突き止めないで、そういうことにしておきましょう。 ところで仮に1980年ということになると、この年もオリンピックが行なわれた年になります。オリンピックは平和の祭典と呼ばれるだけのことはあって、その歴史は、戦争と平和と切っても切り離せない関係がありますね。ちょっと調べてみました。 1896年第1回 アテネ 1916年第6回 ベルリン 第一次世界大戦のため中止。 1920年第7回 アントワープ 戦争の傷跡が深く残るベルギーをあえて開催地に選ぶ 1940年第12回 第二次世界大戦のため中止 1944年第13回 〃 1948年第14回 ロンドン 第2次世界大戦の責任を問われドイツと日本は招待されず 1980年第22回 モスクワ ソ連のアフガン進行に対する制裁措置としてアメリカがボイコット。日本を含む西側諸国60の国と地域が不参加。 1984年第23回 ロサンゼルス モスクワ大会の報復としてソ連・東欧諸国など16の国と地域が不参加 1988年第24回 ソウル 北朝鮮不参加 2000年第27回 シドニー 韓国と北朝鮮の合同入場が実現。 うわー、こういうのを見ると、本当にオリンピックって人類の平和の祭典ということを痛感いたしますね。 (48年のロンドン大会って、第2次世界大戦の責任を問われ、日本は招待されなかったのか、知らなかった、戦争の責任のためか・・・。) そして、ギリシャで舞台再編成をしていたであろう80年のモスクワ大会ですが、そうそう、この大会は日本はアメリカに習いオリンピック不参加だったのです。日本の選手もみんな涙を飲んで出場できないことを悔しがりました。国をあげて、不参加の苦渋を味わった年でした。そして翌ロサンゼルス大会では、今度は逆にソ連がその報復措置として不参加でした。 え?なぜ、参加出来なかったのかって?それはですね、 ミッキーやシンがパルテノン神殿を観光していたころ、まだ、世界は冷戦時代だったのです。
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