85年製作のエリア88 OVAを観ようと思って、家にそれらしきビデオが見つかったら送ってもらいたいと頼んだところ、何を勘違いしたのか、送られてきたのは『エアポート79』のビデオでした。 ち、違う・・・ 仕方がないので、ビデオを送ってくださったお母さまには丁重にお礼を述べ、おめあてのものは自分で新規購入することにしました。DVD2本、しめて1万円弱の散財です。 こういうとき大人というのは便利ですね。「ここからここまで全部ください」と棚を指差して買うこと出来ますから。私もよく、この棚のもの全部くださいといって棚丸ごと買い占めたりいたします。 すいません、嘘つきました。そんなお金ないっす。DVD買ったせいで、晩御飯のおかずが一品減りました。けれど塩沢ヴォイスがあれば、おかずなしでご飯3杯はいけるので、そんな貧しさなどは一向に苦にはなりません。 エリア88のOVAは ACT.1『裏切りの大空』 ACT.2『狼たちの条件』 ACT.3『燃える蜃気楼』 と全部で3巻あるようですが、現在簡単に入手できるのは、劇場版(ACT.1,2を劇場用に再編集)とACT.3のDVDのみのようでした。 再編集された劇場版より、ACT.1,2それぞれ別のが欲しかったのだけど、そちらは残念ながらDVD化されていないようです。 北米盤DVD愛好者としては、国内盤ではなく本当は北米盤が欲しいのですが、どうもエリアのリージョンコード1はACT.1しかリリースされていない模様。また、続巻も出る様子がないようです。 なので全部揃わないんじゃしょうがないので、仕方がないけど流布版の国内DVD 劇場版とACT.3『燃える蜃気楼』で我慢することにしました。 北米盤はジャケット絵がシンだったので、本当はこっちのほうがよかったんだけど。残念です。 なお、北米盤ジャケット絵のシンは、フライトスーツを生肌に着用し、胸元を大胆にはだけ、エロチズムがヒートアップしているので、興味がある方は検索して探してみるとよろしいかもしれません。北米盤製作スタッフの中に風間真ファンの女性でもいたのでしょうか。いやにエロースが強調されておりますよ。 今や萌えは、詫び錆びと並ぶ日本の美意識を代表する言葉となったようです。 以下感想。 劇場版は普通に退屈で、ACT.3は普通に面白かったです。(正直) 劇場版は原作初期の短編エピソードを順序を適宜入れ替え整理しつづ、一つの作品に組み立て上げたという感じでした。いずれも原作話使ってあるのですが、一個一個の話がぶちぶち切れていて、細切れ感が強く、続けてみるのにはちとしんどいかもしれません。まあ、これは劇場版ということで再編集されているようなので、ACT.1,2という順番で観ればまた違った印象を受けるかもしれません。現在はACT.1,2が入手出来ないので、観ないことには何ともいえませんが。こちらも見てみたいので、やはりDVD化してもらいたいと思うところであります。 対してACT.3のほうは、うん、こっちはおもしろかった。まとまりもいいし、原作未読の人でも話は判り易いし、感情移入もしやすく、集中して楽しめるものでした。話的には、フラメンコ・サヴァイヴァーから、アスラン政権交代、シンが88を除隊してパリに行くところぐらいまでで、長さ的には98分だけど、内容は結構濃いんじゃないかな。尺がたらないので、地上空母もプロジェクト4もなく、話は駆け足になりますが、この長さでこれだけまとめれば上々なんではないでしょうか。 観ていて気になったところ ちょっと人殺し人殺し五月蝿い。 原作より人殺し人殺し云々が3割増しつこい。 あんた、エイベックス版ではシンが人殺しに悩む描写がなくて、さんざん怒っていたくせに、悩んだら悩んだで、そんなこというんかいといわれそうですが、うん、ちょっと五月蝿かった。だって本当にそう感じたんだもん。(正直) なんでそんなふうな感じを受けるかというと、あれだな、ポエムがないからだな。供物は血の色、男の命とか、なぜなら心が鉛色、みたいなポエムで心情や状況を伝えることをせず、会話の中で直接人殺しという言葉を使っちゃうからいけないんだな。 最初の2年なんて長すぎるよというところも、もうたくさんだではなくて、そのものずばり「もうたくさんだ、人殺しなんて」というストレートな悲鳴が付け加えられているし、その日悪魔は生きろといったのところも、「人を殺して生きろというのか」という直球の叫びに変更されているし、あと2万ドルのところじゃミッキーまでも「5人殺すってことさ」とか「人殺しの方法を教えてくれる」と臆面もなく言っちゃっているし、グエンも「人殺しをやっていることにはかわりはない」とわざわざ説明してくれなくてもわかることを話し出すし、ショウイチロウ・イトーのところも、「人を殺すなんてそんなことは俺は」云々と、長々とくどく演説している。 とにかく、直接的即物的な物言いで、人殺しというキーワードを使っちゃっているところがしつこい印象を与える要因なんだろう。 これはやはりそんな即物的な単語ではなく、新谷節で伝えなきゃいけないところなんだよな。俺達の汚れた手からじゃ駄目なのさとか、誰の手から贈られよう花は花だ。とか、そんときゃ自分の命をサービスするんだな、みたいなこう新谷スピリットと利かせた台詞のやりとりの中にそれを込めてもらいたいのだよ。 このOVAにはそういった記憶に深く刻まれるしびれる台詞というのが無かったような気がする。会話のやりとりにケレンミが足りないというか。ロマンリズムが不足しているというか。テーマを前面に出そうとしたあまり、新谷漫画の魅力の一つである詩情が殺がれてしまっているような。そのテーマが私が好きなところだっただけにそこが悔やまれる。 やはりエリ8っていうのは格好いい台詞が命のような話だし。普通に聞いたら臭くてきいてられない台詞が違和感なく決まるのが、エリ8の世界なんだろう。単純に臭い台詞を投入しているという意味では、もしかしたらエイ○ックス版のほうが上かもしれん。姿無き狙撃手(別名ゴルゴ88)の回の「命の時間を計っていたんだ」あたりは、エリ8テイストなラストをしめる言葉だったと個人的には思う。おお、あのエイ○ックス版にも褒めるところがあったじゃないか。 シンはわりと暗いとかウエットな奴とかといわれることが多いみたいだけれど、私はそれほど、この人は暗い人とも思えなかったりするんだよな。 確かに、傭兵という立場に葛藤を感じるときとか、神崎や涼子のことを思うときは、陰気になりがちだけれど、そうでないときは、笑ったりくずれ顔になったり表情も豊かである。新しい機体がきたり整備しているときはなんだかんだいって楽しそうだし、冗談や洒落をいう場面も多い。つっかかってくるやつがいればうまく受け流したり切り交わしたりもするし、さらにここ一番というときは台詞がきれる。初めてあったカメラマンに日本のことを聞こうと部屋を訪れたりするという社交性もあるし、富豪になってからは金持ちに余裕みたいなものが出てきており、けして陰気で暗い奴というやつとも思えない。どっちかっていうと糞真面目ぐらいにいったほうがいいか。(夢見すぎ) このOVAはシンの暗い側面を話の中心に据えているせいもあってか、原作の3割増シンが暗い感じです。独り言が多くて悩める青年で塩沢ヴォイスも手伝って、内省的な風間真でした。 シンが人の命を奪うことで命が成り立っていることに苦しむところは、私がエリ8の中で一番好きな箇所で(いや、一番はシンのケツウォークですが)、それを前面に出してくれたところが嬉しかっただけに、それと並ぶぐらい魅力に感じている新谷節が物足らないものになってしまったのが、このOVAにおいて、最も残念に思うところでした。 しかし、なんかこうやって書いているうちにどんどん自分の中で原作を神聖視しているような気がしてくるなぁ。もしかしたら、私は思い違いをしているのではないか?勝手に自分の中で原作を絶対視し、神格化し、過大評価しているのではないか。本当はそんな大した作品でもないのに、思い込みだけで、過剰な評価のもとに盲目的に信仰しているのではないか。 そんなことが心配になったので、エリ8を読み返したところ、やはりおもしろかった。あー、好きだ、この漫画。最高だよ。 自分の感性を誤魔化そうとするのはよくありませんね。 私は己の感性を素直に信じようと思います。 塩沢ヴォイスのシンのケツウォークにハァハァ。<完>
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