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24082

■SM■

SMについての事を少し書いてUPしようかなと考えています。
家庭環境と物凄く関わっている。傾向がある、と思う。
でも書き方を間違えればサイトの空気全体が変わってしまうと思うからとても慎重です。空気などないのかも知れませんが。

病院に行き損ねてしまいました。
着替えたところまではいいんですが、その後また着替えて寝たらしくて、起きたら診察予約時間を2時間も過ぎていて焦った。急いで病院に電話をして謝って金曜日に予約を入れてもらいました。病院くらいまともに行けないのか。うえぅ。

1人の人格の自殺という形での消失を思い出して少し泣いた。
その時のMやF程は泣かなかったけれど。それで思い出したのが友人。私は大切だった友人の死すら半分しか受け入れず命日も覚えていないような冷たい人間だ。自分の不安定さに耐え切れなくなった時はあれほど涙を流すのに。死んだ事実は頭では理解出来る、それでも毎年、年賀状に「今度飲みに行こうな」と書いて出しそうになる。人格でも同じなんだよな。病院で沢山泣いたFに主治医が、「そうやって泣いてあげられる優しさを大切に」と言っていたのをうっすら聞いていて私は少し悔しかった。泣けない訳じゃないけど、死そのものが私には受け入れた頃に忘れてしまうようなもので。何が言いたいんだ私。
でもこうやって忘れた後に不意に思い出す事があると
あぁ、もう同じ空気吸う事もないんやな、と悲しくて。
怒りが先行しただけあってまだあの相手の事を嫌な気持ち以外では見れないし癒えていない部分もあるし、その時のこちらの反応が大きかった事もありその場の空気をかなり壊した事も思い出されて少しだけ鬱だ。でも、悲しい事にも意味はあって、
Sという人(格)が居なくなってから、原因の1つであるMは
とても成長して彼女の友人と話す時も見違えるようになったと良く言われるらしい。ごめんなさい、ありがとう、を綺麗に使えるようになった。病院で恥ずかしいくらい泣いたFは、Sは自分の中にいるんだと思う事で強くなり、優しくなった。父に殺されるのを恐れて勇気を出して警察に逃げたのもFだった。
ネットでは大きく振舞っているが私達は誰も、人に助けを求める事が出来なかったし逃げる事も出来なかった。今は少しだけそれが出来るようになっている。気がする。

追加-2:15-
私信になります。
虐待、と言う言葉について。私は過去を語る上での表現としてはそれが一番適当だと思うしそれ以外には言葉も見つからない、から仕方ない事だよ。ただ君と同じようにわたしはそれを愛であって虐待ではないと思い込んだし今も少なからずそう思っている所があるから、虐待と言う言葉に変な後ろめたさを感じるのかも知れない。でもそれは君が気にする事じゃないからね。知ろうとしてくれて気を回してくれたのが嬉しかった。
■2001年10月02日(火)■

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