OSHO TAROTというタロットカードがあって、その中の1枚に、スーフィー(イスラム神秘主義)の賢者が王に知恵の言葉が裏に刻まれた指輪を渡す逸話が書かれている。王が絶体絶命の時に指輪の裏を見るとそこには「これもまた過ぎ去る」とだけ書かれていたという話だ。
王は幸福や悲しみと言った感情の変化に振り回されたくはなかった。それゆえ賢者達に答えを求めたが、答えを与えることができたのはスーフィーの神秘家だけであった。なぜなら数ある賢者の中で、スーフィーだけが己の感情に振り回されずに存在することを学んできたからだ。
王は国の中心であり、社会の中心だ。常にうれしいこととかなしいことの渦の中にいる。油断していると、バランスを見失ってしまう・・・。かなしいことはともかく、うれしいことと言うと純粋に良いことのように思われているが、中医学では過度な喜びは心臓に悪いと言う。では落ち込んでいるほうがいいのかというとそんなことはない。過度な喜びと同様に喜びの不足は心臓に悪いのだ。五行はバランスのアートである。
そして「これもまた過ぎ去る」と覚えておくことが心のバランスを取ってくれるとスーフィーは言う。辛いこと-過ぎ去っていく 嬉しいこと-過ぎ去って行く 悲しいこと-過ぎ去って行く 楽しいこと-過ぎ去って行く 悩み事-過ぎ去って行く 熱狂も興奮も過ぎ去って行く・・・ 長い目で見れば、私達の身体、心、命、魂、それすらも過ぎ去って行く・・・もっと長い目で見れば宇宙すら過ぎ去って行く-宇宙にも終わりと始まりがあるのだ-・・・
思い出してみれば、あなたにもたくさんの「過ぎ去ったこと」があることだろう。過ぎ去った子供時代、過ぎ去った青春、過ぎ去った恋愛、過ぎ去った友情、過ぎ去った仕事、過ぎ去った愛、etc.etc...
全ては過ぎ去ってきたし、これからも過ぎ去り続けるだろう。スーフィーが彼の全存在を賭けて王に手渡した秘密の教えの指輪の言葉のように。
あるいは「ただ変化は起こり続けるという真実のみが変化しない」と言った仏陀の言葉のように。
そして「これもまた過ぎ去る」と覚えていたら、人は幸福にも不幸にもしがみつくことができない。しがみつかない人はそんなに惨めにはならない。しがみつかない人は倒れても起き上がりこぼしのように立ち上がる。 立ち上がろうとする努力さえなく、自然に。
起き上がろうと努力している起き上がりこぼしを、見たことがあるだろうか? 起き上がることに必死になれば起き上がれない。力を抜いた者のみがよく力を用い、起き上がることができる逆説。そして「これもまた過ぎ去る」と知る者こそが力を抜いて力を用いることができる者である。
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