虚無感のある歌が好きだ。歌詞に虚無感のある歌が。
明日があんよでないよな定め 義理も人情も世間のことで 赤い夕陽を背にあびながら 江戸の夜明けを待ち侘びる 隠密同心捜査網
これはかつての名作時代劇、大江戸捜査網のエンディングテーマで、私は子供の頃に再放送をよく見ていたのだが、今でも夕暮れ時に人気の少ないところなど歩いているとついつい口ずさんでいる自分に気付くのだ。
特に最初の二行、
明日があんよでないよな定め 義理も人情も世間のことで
この行間から果てしのない虚無感を感じるのは私だけだろうか。明日自分が生きてるか死んでるかなんか誰もわからない、誰にも保証できない、けれどもなぜか明日に予定はあるし、全ての予定は自分が生きてるという確証なき前提のもとに進んで行く。
義理も人情も世間のこと、世間は義理がどうとか人情がどうとかわいわいがやがやいつも五月蝿いが、自分はそんな世間の関わりですら他人事で。自分のことは世間の知ったことではなく、自分はただ自分の命を生き、そしていつか死んでいくだけである。
赤い夕陽を背にあびながら 江戸の夜明けを待ち侘びる
そう、陽は暮れかけているのだ。日没は近い。そして暗闇こそ我が仕事場であり、自分の生きる場所、そしておそらくは死に場所である。
いつかこの闇多き街に夜明けはくるのだろうか。もう自分は十分長く待った気がする。待って待って何も起こらず、それでも自分にできることは待つことと己の務めを果たすことのみである。ひょっとしたらこのまま待ち侘びながら死んでいくのかもしれない。それでも今この瞬間の私は江戸の夜明けを待ち侘びているのである。
隠密同心捜査網
南無阿弥陀仏と唱えれば、そこに阿弥陀仏の全ての救いがあるという。南無妙法蓮華経と唱えたものには、法華経の全ての功徳があるという。隠密同心捜査網も同じである。歌の終わりを隠密同心捜査網で締めることにより、隠密同心の全体、その全てを万感の思いでもって歌い上げるのである。
嗚呼、隠密同心捜査網!
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