2003年11月21日(金) |
「題名のある日記」は「題名のない音楽会」よりは意外なことだと思う |
WEB日記の特徴のひとつは、「題名」だと思うのです。 自分だけが読む日記、つまり昔ながらの日記帳につけるような 日記を書くときに、題名ってつけないような気がします。 僕がつけないだけかもしれませんが。題名の効用ってなんだろうって 考えると、その日記のおおまかな内容がわかるってことですよね。 人に読んでもらうときに題名があったほうがいいってことでしょう。 やっぱり「読まれることを意識して書く」のがWEB日記であり、 その一点において、普通の日記と異なるのでしょう。
日記というよりも、個人の書く「天声人語」みたいなもの、 新聞の社説欄のようなものかもしれないですね。
ちなみに僕の場合、自分以外に読んでくれる人がいないと 基本的に物を書く気にならないので、WEB日記は付けてても、 普通の日記は付けていません(笑)。自分が思い出すためなら 書かなくても思い出せばいいと思う性質なので。 でも自分で書いた過去のWEB日記や、MLへの過去の投稿を読み直して いると、「ああ、あんなことがあったな」とか「またあそこに行こうかな」 とか思えます。これは普通の日記と同じ効用ですね。
結局のところ、何かを言葉にするのに、聞き手、あるいは読み手に 存在していてほしいのだと思うのです。誰かがいると、あるいは誰かが いると仮定すると苦もなく言葉がつらつらと出てきます。そして自分が 言ったり書いたりした言葉から自分自身がヒントを得たりもします。 大学の時に、とにかくなんでも書いてみる「ブレインストーミング」という 技術を英語の先生より簡単に教わりましたが、似たようなものかもしれません。
フランスの実存主義哲学者、サルトルは晩年インスピレーションを得るため だけに、カフェに女性の話し相手が同席するようにしていたと聞きます。 彼もそのようにして自分の考えをまとめたり、新しい着想を得ていたのでしょう。
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