1995年01月17日(火) |
阪神大震災当日の思い出 |
奈良県内の実家で目を覚ました。 ただし目覚ましなどという生易しいものによってではなく、 激しい揺れによって。 次の瞬間私がしなければならなかったことは、大型本棚と大量の本に よって押しつぶされないように本棚を一生懸命支えることだった。
家族が目を覚まし、「すごい揺れだった」とお互いの衝撃を相互確認。 「一体何が起こったんだ」とTVをつける。 地震のニュースが流れるが、全体像は全然見えて来ない。 「淡路島で急いで外に出たお年寄りが瓦で頭を打って軽い怪我で病院に 運ばれました」とか、その程度の事しか最初報道されていなかった。
当時芦屋市内のマンションに住み、神戸市内の大学に通っていた。 数日前に実家に帰り、すぐに芦屋に戻ってくるはずだったが風邪をひき、 実家での滞在が長引いていた。1/17は英語の授業があって出席する必要が あったため、早朝に家を出て登校する予定だった。
奈良で受けた地震の衝撃から判断して、電車は午前中は動かないだろうと 思い、今日はのんびり家でくつろいでいようと思った。どれだけ大変な事態 なのか、まったく知る由もなかった。
少しずつ時間が経つにつれ、事態の重大さがマスメディアによって 知らされた。
この地震は思わぬところで空遊の人生に影響を及ぼすこととなる。 良きにつけ、悪しきにつけ。
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