フォーリアの日記
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23日(金)に夫の実家に到着した後、あちこち電話して場所、時間などを確認しました。 義母は義弟の家に電話して叔父の死を知らせました。 2つの葬式に混乱した義母は連絡する先を考えるのも苦労していました。 勤務先の義弟から折り返し電話があり、翌日こちらに向かって葬儀には参列するとのことです。
お通夜の時刻は双方でずれていたのですが、弟の嫁さんのほうが先だったので 夕方義母を車に乗せてまず叔父の家へ行って、私もお参りさせていただいて その後義母をそこにおいて息子を連れて弟の嫁さんのお通夜にいきました。
私にはI家の親戚はほとんどわからないので、どういうふるまいをしたらよいかわからず かなり気を使いました。
適当な時刻に退席して帰ってきました。 義母はすでに徒歩で帰っていました。
翌24日(土)、朝から納棺・出棺ですがこれも双方微妙に時間がずれています。 私は、用があるので帰るという息子を駅まで送り、先にI家のほうへ行きましたが、叔父のほうが時刻があとなので 早朝に車で小田原を発って駆けつけた義弟が間に合い、 義母を連れていってくれました。
出棺し火葬場へつくと、I家の隣には○○家と義母の実家の名前。 ここでもしかしたらかち合うかもしれないと思いましたがかち合いませんでした。
そこから葬祭場へ行ってしばらく時間があったので軽く昼食におにぎりが出され そのあと1時から葬儀が始まりました。
若い人の葬儀は参列者が多く、弟夫婦が住んでいた横浜からもたくさんの人が駆けつけてくれました。
葬儀の後のお斎(おとき)(長野では葬儀の後のふるまいの席をそう呼ぶ)に参加して 主な流れが終了してまだ完全にお開きにならない頃、 今度は4時からの叔父の葬儀に参列するために退出しました。
叔父の葬儀に駆けつけてびっくり。 お経を上げているお寺さんが同じです。 道理で重ならないわけです。
葬儀が終わると、お斎に出るはずだった義母は疲れて具合が悪いというので私がつれて帰り、 代わりに義弟がお斎にでることになりました。
帰ると義母はそのまま休み、私も少し休みました。 2つの葬式はあまりにもあわただしくてわけもわからない気分です。
そのうち義弟が帰ってきてお斎で夕飯を食べるほどはおなかもすいていないので おつまみ程度でビールを飲んで休憩し、そのうち解散して休みました。
次の日25日早朝、仕事を残してきたという義弟は帰っていきました。 私は昼頃出るつもりでしたが、弟に連絡すると昼頃衣類を取りに実家によっているらしいので 少しぐらい話ができれば、と実家のほうへ行ってみました。
衣類をとりに着たものの洗濯しないと衣類がなかった弟は洗濯していました。 すこし話をすることができました。 洗濯が終わると弟はI家のほうへまた行きましたが 私は郵便物など整理してから実家を出ました。
夫の実家へもどると、まもなく義姉夫婦が来るというので では会ってから帰ろうということでもうすこしいることにしました。
義姉は看護婦らしいするどい洞察力でいろんなことを見抜いていました。 話ができてよかったです。
義母と義姉夫婦が叔父の家へお参りに行くというころ 私も帰路に着きました。
帰りの高速道路は渋滞しているところもあり 5時間ぐらいかかって家に着きました。
実はその間、車の冷房が効かなくて汗びっしょりでした。 これまで寒かったので暖まればよかったので気づかなかったのです。
エアコン問題は今日の話題なのですが、 長くなるのでやめておきます。 気が向いたらまたのちほど書くかもしれません。
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