武ニュースDiary

* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!
目次|前の記事|新しい日記
| 2013年07月09日(火) |
男神回來(続き)●Elle台湾エッセイ・もう1つ |
さんざん太った、老けたと煽った後に、「復活〜!」とは、 えげつないネタ作りかと思わせられますが、 やっぱり、素敵な人には外側もずっと素敵でいてほしいんですよね、と思います。
これもそんな内容で、捜狐の動画ニュースを使っていますが、 金城さんの部分を繰り返し映してくれるのは、うれしいかも。 昨日の台湾の非凡新聞です。
link
この種のニュースはあとこれ1つで終わりにしましょう。
金城武が事実によって老けてはいないことを証明した。 先に撮影された「I SEE YOU」のCMは人々をまさしく魅了し尽くし、 台湾の美しい景色に浸りながら、大勢のファンが彼のこぐ自転車に乗りたいと願ったのだった。 現在、彼は今度は国際的な大監督ジョン・ウーの新作映画「 太平輪」に出演する。 聞くところでは、彼はかっこよい扮装でカメラに収まり、 依然として非常な姿の良さ、かっこよさを維持しているのを人々に知らしめたという。
この新作「太平輪」は6日北京でクランクイン、 金城武、ホアン・シャオミン、チャン・ツーイー、 韓国スターのソン・ヘギョら大スターが集結、こ のキャスティングだけでも見る価値はある。 金城武が好きな人は決して見逃さず、 彼が老け込んでいないことを絶対確かめに行くべきだ。
先日彼が老けた姿で写真に写っていると流されたことで、人々は驚愕した。 なぜなら彼は子ども時代から大人になるまで、ずっと憧れ慕ってきたアイドルだっただからだ。 だが、年を取らない者はいないのだから、ファンは厳しく見てはいけない。 しかし、数日前、金城武は老けて太ったというバッシングに対し、こう返した。 「見た目に時間や労力をかけるより、社会のためになるよう努めるほうがいい」 (洪素津・文 Yes娯楽新聞中心 2013.7.9)
写真のキャプションには、 「金城武は今でもやはり多くの人の不滅のアイドルである」 とあり、やっぱり愛されてるんだと思います。
●Elle台湾のエッセイ・もう1つ 23:40
7月2日にリンクを張った「ELLE台湾」サイトの、Friendの方の訳です。
金城武と、私たちみんなで追いかけたあの頃
「I SEE YOU」の一言が、 ある日突然私のフェイスブックを覆い尽くす話題となった。 若い人は、なぜこの、もう完全な美しさとは見えない男性が、 私たち70年代生まれの人間にとって、かくも抵抗しがたい魅力を持つのか 理解できないだろう。
私たちが彼らと同じような、まだ青く若々しかった頃、 それは高雄の墾丁に行けるだけで有頂天になっていたような年齢だ。 当時、ウォークマンで「標準情人」「多苦都願意」を聞いていた私たちは、 親友とイヤフォンを半分ずつ耳に差して、そのころまだあった区間急行に乗っていた。 それはある種の、ゆっくりと時間をかけて楽しむことを許されているという快楽だった。 時間をたっぷりかけてどこかに行ってよく、アイドルに夢中になっていてよかった。 その頃、私たち誰もが好きだったのがこの男性、金城武である。 私の金城武体験はT18から話し始めねばならない。
あの年。 男の子はみんなエリクソンに夢中になっていた。 CMの金城武のように、携帯に向かって「ラーメン!」と言えば 自動的に通話できるというのをしてみたくて仕方なかった。 携帯のふたをパチンとあける動作も魅力的で、 T18さえあれば、金城武みたいに、少なくともかっこいい扱い方はできる。 当時、ソニーといえばウォークマン、エリクソンといえば携帯、 金城武といえば若い男女すべてのものだった。
あの頃、彼はまだ明るいビーチボーイで、 私はサメ機は小海豚機より落下や衝撃、水に強いと思っていた。 その時代の携帯電話はそんなに多機能を求められておらず、 両親からかかってきたら切れて、 好きな女の子からの電話はつないでくれればよかったのだ。
その後、携帯のせいで、私たちはいろいろと気をもむようになった。 あの、いつも留守電を確かめる習慣については、 私たちは金城武のあとについて「恋する惑星」に行ってから、 彼と一緒に道に迷ってしまったようだ。 5月1日を迎えること、あるいはパイナップルの缶詰を見ることに、 みんな意味があるようになった。 その年、毎日T18で電話をかけていた彼女は、今も何かを思い出すたびに、 また期限が切れてしまったと感じる。 また1年経った、また1年経ったと。
例えば金城武。 たくさんの人がいろいろな金城武を知っている。 しかし、こちらが察し、感じ取らないと、はっきり主張してこない金城武もある。 かつて陳昇の録音スタジオの助手を務めた金城武には、 実は音楽の天分もあったのだが、ある種の、いわれなき世間の偏見と同じで、 美と才能は同一人の中に存在しないはずだといつも言われていた。 それゆえ、彼はこの方面ではきわめて控えめで、ほとんど口にすることがなかった。
独自の炯眼を持つ陳昇もまた、この道理をわきまえており、 歌を世に問うた後、作曲者が誰かはすぐに明らかにせず、 ただ、「これは少年が作った曲」と言っただけだった。 陳昇は音楽自身におのれを知る者を選ばせたのだ。 この歌が1997年リリースのアルバム「六月」に収録されたときになって、 ようやく金城武の3文字が歌詞集に記された。 大声で言いふらすことのない英雄が英雄を惜しみ、 意図的に話題として盛り上げることをしなかった。 わかる者だけが分かればよかったのだ。
このように、野心と成功は、実はあまり直接的関係ないことがわかる。 こんなふうに理解して注意深く守ることこそ、実は真の完璧さであると、 この歌を愛する者たちに、静かな愛とは何かを理解させたのである。
金城武との再会は、再び記憶のさざ波を起こさせた。 あのころについて、あの、一緒にいたのに、別れの言葉を言い忘れた人たちについて、 私たちにもう1度、些細だが深い過去を思い出させる。 あの、急いで成長しようとしていたことを、T18を手放せなかったことを、 イヤホンの片方で曲を聴く習慣を。
「I SEE YOU」の一言は、70年代生まれの私たちにとって、 1つの広告にとどまらない、記憶の巡礼なのである。 映像の中で金城武が1人街を歩いてゆく姿が、私たちを再び追憶の交差点に導く。 ようやく「命はもうぼんやりした若さでは」なくなり、 たくさんのことを忘れ去ったとき、私たちはやっと成長したのだ。 唯一の違いは、すなわちこうだ。 昔は、自分が急いでいた、今は急がねばならなくなった、ということだ。 幸い、交差点は依然として交差点である。 依然として沈黙し、依然としてあわただしい。
*この文を最愛の携帯ブランド、エリクソンに―― 私のように大人になりたくなかった者たちに寄り添い、 私にこの歌を教えてくれたあなたに捧げる。
ここで「歌」と言っているのは「路口」をさしていると思います。 歌詞の一部が引用されてもいます。
BBS ネタバレDiary 13:00
|