武ニュースDiary
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2009年02月20日(金) |
「如果・愛」について |
昨日までのピーター監督の記事を読んで大陸ファンはこんなふうに感想を。 いくつか紹介してみます。
読み終わって、すごく感じるところがありました…… 武の性格は、あまりオープンにしたがらない。 彼が心に抱えている辛いことは、誰も知らないんだ。
どうやらピーター・チャンの人を見る目は一般的基準とは違っているらしい。 私も、「如果・愛(ウィンター・ソング)」で受賞すべきなのは、ただ1人、金城武だったと思う。 なぜなら、彼は主人公をとても純粋に演じたからで、 ジョウ・シュンはやはりスターになってしまい、役者ではなかった。 ジョウ・シュンはいつも、悪い役を愛すべき人物に感じさせてしまう演技を好む。 はっきり言えば、観客に自分を好きにならせ、また演技がうまいと思わせるということだ。 こういう役者はいい役者ではない。 金城武の方は、「投名状」を見終わって私がまず感じたのは、いい役者だということだった。 彼の頭にあるのは、その役を、人に評価されるように演じて自分を好きにさせることではなく、 この役はこの役として、監督が欲しい役として演じることなのだ。 純度の高い役は、観客にはあまり喜ばれないかもしれない。 しかし、観客が最後に、最も感動するのは、やはり彼が演じたものであると、私は信じる。 心をこめて真心で演じさえすれば、人は必ずわかるものだ。 チャン監督は決して残念がらなくてよい。
私は前から、「如果・愛」と「ラヴソング」は同じタイプの映画ではない、 比べられないと思っているが、それでも「如果・愛」の方が好きだ。 もし、ヒロイン役をもっときれいな女優にするなら、もっと完璧だ。 ピーター・チャンは金城武を本当に理解する監督の1人である。 彼の外見だけでなく、素質に対しても、こんなにその本質を理解できる人はめったにいない。
彼らは2人とも愛すべきことを言う人たちだ。 「投名状」の撮影でチャン監督は大きなプレッシャーを抱えていた。 武が監督に言った、ぼくにこれはやる価値があるよといいませんでしたっけ? 彼ら2人ともに天真爛漫で素朴なキャラクターの人だと思う。
昨日の記事でインタビュアーが、ジョウ・シュンの演じた孫納像を指して、 「でも、そここそが、この映画で一番心温まるところだと思う人は多いですよ。」 というのは、その通りで、打算に満ちた冷たい女に見えて、 その心の真実は……と受け取れる部分が、確かに孫納を「愛らしい」人物にしていました。
しかしそれは、ピーター・チャンが描こうとしたものではなかった、というところに 面白さを感じました。プロモーションでは、まさにそのことをもって ジョウ・シュンをほめる言葉にしていたのに。 「自分とジョウ・シュンは普通の出来」と、何度か言っていたのは、 そのことだったのでしょうか。
孫納を愛すべき人物としたことで、観客にも温かいものが流れた。 しかし、北京に行ってからの孫納の心理がよくわからない、という観客も少なからずいましたね。 その疑問もまた正しかったということかも。
「如果・愛」は、恋人が別れ、再び出会った時には一方には愛人がいる。 しかし、出会いが2人を再び結びつけつものの、また別れがやってくる―― という単純なストーリーで、それだけに、その心の内、物語の意味は、 描き方、俳優の演じ方で、幾通りにも描き分けられうる。 そういう目で映画「如果・愛」を見直すと、見どころいっぱい、 非常にスリリングなのではないかと思いました。
BBS ネタバレDiary 1:20
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