武ニュースDiary


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2007年11月16日(金) Esquire香港(君子雑誌)本文

金城武・現場

    

変化は確かにある

午後、日本は六本木のある静かなスタジオで、金城武と会った。
彼には一貫して神秘感と静謐な感じがある。
つまり他とは違った俳優であって、一種、ちょうどいい距離を感じさせる。
それと同様に、進んだかと思えば退く生き方が、この傑出した俳優は、
いったい心の置き方をどのように選択しているのか、ふと、わからなくさせる。

「ぼくにとって、状況というのは本来受け身であって、
実は俳優がそういうものなんですよね。
ここ数年、ぼくが急に活発になったように見えるでしょうけど、
それは、ちょうどいい時ということと大いに関係があるんです。

ちょうどいい時とは何かって?
つまり、全てのことがとてもなめらかに心地よく起きるということ。
台本を手渡され、どんな出演者やスタッフかを知り、
参加したいという強い気持ちが湧いてきた。
だから、すべてがとてもうまく進んだんです。
ピーター・チャン監督と前にご一緒した「如果・愛」のように、
互いにもう深い信頼があったし、スタッフも知っている人たちだったし、
基本的に「投名状」は、全く迷うことなく参加を決めた作品でした。

今、すっかり大人になったからかなあ、他の人には、
ぼくが仕事や将来に対して前よりずっと積極的になったと映るでしょうけど、
実際、自分でも、生活に対する考え方がちょっと変わったのがわかります。
でも、どんな変化なんだろう? 
具体的に言葉にすることはできないけど。
それでも、ぼくの本性はやっぱり同じで、
仕事以外では、自分のプライベートな時間をとても大事にしていますよ」

金城武はそう言うと、かすかに微笑んだ。

インタビューは、表紙写真の撮影の後で行なわれた。
音楽さえ流れない、完全な静寂の中で、カメラマンと大勢のスタッフは
てきぱきと仕事を進め、全てはきわめて快適に終了した。
そのかん、金城武はカメラマンに時折希望を言ったり、
ポーズの相談をしたり、あるいは意味深長な笑顔を返したりするだけだった。
そして今日のインタビューの間、彼の顔にはずっとこの微笑が浮かんでいた。

価値観が揺らぐかどうか

簡単に言ってしまえば、映画「投名状」は女を漁って友を裏切る話である。
道義の価値を追求するというテーマからは、
いろいろなストーリーの映画が作れるだろう。
武侠映画にすることもできるし、宮廷秘史もありうる。
渡世の男の話や政治闘争物もありだ。
そして監督ピーター・チャンが撮ったのは戦争映画だった。

金城武もこの映画を戦争映画ととらえている。
だが、最も激しい戦闘は荒野の戦線にではなく、1人1人の人間の心の奥深くにある。
自分がずっと守り通してきた価値観が崩壊するのをまのあたりにしたとき、
搾り出される叫びなのだ。

「戦場では、殺さなければ殺される、結果ははっきりしています。
でも、『投名状』で経験したのは、心の闘いでした。
自分がずっと信奉してきた価値観の崩壊に直面すること、
生き延びるために、人間性の多くの純真で善良な部分がキリ捨てられること、
こういうことが僕の心を激しく揺さぶりましたし、
人がこの映画を見るときは、きっとそういうやるせなさ、
時代のせいで、誰もがそうせざるをえなかった選択を感じ取ると思います。

けれど、それは無情とは違う。
「投名状」の重点は人間の感情に、男同士の道義、男女の愛情、
昔から変わらず存在する本物の感情、
逃げ場のない状況で生じる激しい衝突にあるんです。
こうした内容は画期的で、古今内外を問わず、観る人の共感を呼ぶでしょう」

では、あなたは人と人の間には道義があると信じているのですか、と私は聞いた。
金城武はじっと私を見ると、軽くうなずいた。
落ち着いたしっかりとした表情だった。

「『投名状』の世界では、3人の主人公が乱世を必死に生きようとします。
3人は他の人間の血で契りを結ぶんですが、その大きな理由は、
個人の力量には限りがあり、手を組めば、いい結果を生むことが多いからです。
動機はそうだということで、だからといって、
その後、本当の情感が生まれないということではありません。
しかし、その後、1人でも生きていけるようになると、
元々野獣のような男達ですから、
衣食が足りればいいというだけではとどまらなくなってくる。

ぼくは、誰の気持ちもずっと本物だったと思いますが、
欲望が多すぎてそれに操られ、あのような結果に行き着かざるを得なかった。
でも、こういう感情は絶対存在すると思いました。

他の人のやり方は、ぼくにはどうしようもない。
だけど自分は、自分の心の内に、自分自身のやり方と状態を
しっかり保っていたいと思う。
同様に、身近な人に、自分の考える、いわゆる「いい人」と
同じになれと要求することもできません。

ぼくは、誰でも暗い面を持っていると思いますが、
でも、普段、人と交わるときには、
相手を傷つけず、何か「いいもの」を得られればそれでいい。
そのことでバランスが取れると思う。
欲をかきすぎて足を取られないようにしさえすれば、
信念は簡単には揺るがないものです」

インタビューは終わった。
金城武はかしこまって私と別れの握手をした。
すでにカジュアルな私服に着替えた彼は、ずっとある歌を小声で口ずさんでいる。
そう、ずっと。
この午後、彼の口からは絶えず軽いハミングのその歌が聞こえていたのだった。
ただし、ささやくようにかすかで、
近くに寄らないとそれが何の歌だかわからなかった
――映画「心動(君のいた永遠)」の同名の主題歌だったのである。

それはあたかも、乱世の勇猛な武将や究極の智将、諸葛亮に姿を変えてはいても、
自分には変わらない心があることを、
絶えず自分に思い起こさせているかのようだった。
この日、金城武は、相変わらず、あの自己を捜し求め、
風に漂う浮雲のように自由を愛する1人の男なのであった。
(Esquire香港版 2007年11月号)


リードの文章は難しいので、今日はパス。
「投名状」出演に関して、監督と違うこと言ってますね。



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