武ニュースDiary
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2004年03月07日(日) |
初めて「十面埋伏」を見た張偉平・2 |
金城武とは直接関係ない話が続いていますが、 彼がどのような映画に出たかということが少しわかるかと 思って、ご紹介しています。 記事はこのあと、このプロデューサーが、 なぜチャン・イーモウと仕事をするのかについての質問と答えで、 初め、ここは省略するつもりでしたが、 訳すうちに、このプロデューサーのことを 何だか面白い人だと思うようになってきたので、 次回、そこもご紹介したいと思います。
竹林シーンの決定版 チャン・イーモウが武侠映画の第2作を撮ると決めるや、 マスコミはすぐにこれを「英雄2」ではないかと考えた。 「『英雄』という非常にアピールする映画が、 このように大きな市場を開拓した。 なぜ、この勢いを利用してシリーズ化しないのか? 『ロード・オブ・ザ・リング』は『3』まで撮っている」 張偉平は『英雄2』を撮ることを強く主張した。 「イーモウはこう言った。『映画は挑戦だ』と。
彼がこの言葉を口にしたとき、 私は、彼には既に成算があるのをすぐに悟った。 彼が『英雄』の欠点を補いたいと思っているのも知っていた。 自身の芸術において繰り返しをしたことのない監督として、 彼のその苦心が私にはよく理解できた」 その苦心はついに豊かに報いを得た。 「『英雄』がチャン・イーモウの実験作であるとしたら、 『十面埋伏』は完成品だ」 張偉平はこう明かした。 「映画を見終わって、イーモウがこうたずねた。『どう思う?』 私は言った。『感動したよ、揺さぶられるような感じだ』と。 イーモウはうなずいた。 『ぼくも、この方が「英雄」よりいい、満足感があると思う』
私は「英雄」を良く知っているから、 『十面埋伏』が『英雄』とは何一つ似ていないことに驚かずにはいられない。 例えば香港の武侠映画は、1作見たあと、他の武侠映画のどれを見ても、 みな見たことのある感じがする。 『十面埋伏』は、何かに似ているどころか、見たこともない、 いや、想像すら全くできないものだ。 私は以前言ったことがあるが、武侠映画であることは同じでも、 『十面埋伏』が『英雄』と異なるのはリアルなアクションである。 だが、私が見たあのアクションシーンを正確に語れといわれても、 言葉で説明するのは非常に難しい。
竹林のシーンをとると、あれは完璧なできばえだ。 『十面埋伏』以後、あえて竹林を舞台に撮ろうとする者はいないだろうし、 誰も越えられないだろう。 『グリーン・デスティニー』が過去に竹林を撮ったのに、 なぜ我々は竹林で撮影を行ったのか? それはあの竹林がチャン・イーモウに、新たな想像力と創造力を与えたからだ。 『十面埋伏』は『グリーン・デスティニー』と形が違うだけでなく、 本質も違う。 どうしても何か形容しなければいけないとしたら、 すばらしい、ユニークだという言葉になるだろう」
――ストーリーの完成度という点では、チャン・イーモウの過去の作品中、 どれが一番だと思いますか? 「もちろん、『活きる』だよ」 張偉平は同時にこう強調した。 「だが『十面埋伏』は『生きる!』よりもっと優れている。 観客を観に行きたいと思わせるし、途中でやめたくなることなどありえない、 見ずにはいられない。『活きる』は感動的で、少し物悲しい。 『十面埋伏』は感動的で揺るがされるような感じがし、 人をその世界に引き込んでしまう。 武侠映画の中でもちょっと別の面白さと刺激を与えうる作品だ。 そしてきっと全く新しい視覚的、感覚的ショックを与える映画である。 私は、これはイーモウの全作品中、最上のものであり、 その芸術における新しい高みに達した作品であると、はっきり言おう」(続く) (青年時報 2004.3.2)
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