武ニュースDiary
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2003年12月28日(日) |
張藝謀・なぜ2本も武侠映画を撮るのか(青年時報)&金城武、永川に到着? |
チャン・イーモウ、初めて同じ題材を扱う 理由は「英雄」の出来栄えへの心残り
これまで、同じ題材を繰り返したことのなかったイーモウが、 なぜ「英雄」に続き、同じ武侠映画である「十面埋伏」を撮るという、 前例のないことをしたのだろう? この渦巻く疑問について、昨日、記者は、 プロデューサー張偉平の口から理由を聞くことが出来た。
完全無欠の人間はいないと言われる。 だが、張偉平がチャン・イーモウについて語るのを聞くたび、 記者はいつも、チャン・イーモウは張偉平にとって 完璧な人間であることを痛感するのだ。 まず、その他の著名な監督達と比較して、張偉平はこう賞賛する。
「『紅いコーリャン』から『菊豆』、『紅夢』、さらには『キープ・クール』等に至るまで、 チャン・イーモウは、一度も同じ題材を繰り返していないことがわかる。 つまり、毎回違う題材の映画を撮っており、それは非常に大きな精力が要ることだし、 挑戦性もさらに大きいと言うことができるだろう。 こうしたやり方はハリウッドの有名な監督達でさえ、挑戦しようとしない。 チャン・イーモウの勇気と、創造力を十分証明するものだ」
それでは、なぜ武侠映画をまた撮らなければならなかったのか。 張偉平は2つの原因をあげる。 1つは、チャン・イーモウが武侠物1作だけでは満足できなかったことだ。 彼は「十面埋伏」はもっと良い撮り方ができると考えている。 作品が公開されれば、その正しさが証明されるだろう。 2つめには、「英雄」を完成後、 かなりの心残りな部分をチャン・イーモウが感じていたことがあげられる。 観客からも少なからぬ批評があった。 この反省点を「十面埋伏」で改善し、 完璧に美しい武侠映画を作りたいと願ったからである。
題材が同じだから、題材以外のところでは、決して重なってはならない―― 2つの武侠画のストーリー違うものになるのは必然だ。 たとえ、一般の武侠物では主人公の死で終わるのが普通だとしても、 チャン・イーモウは決して同じにしないだろう。 最近、ある新聞が、「十面埋伏」のエンディングについて推測し、 チャン・イーモウは今現在、映画のラストについて決まっておらず、 最終的にどんなふうになるかわかっていないが、 時代劇アクションであるからには、いずれにせよ、 主人公の死で終わるだろうと書いた。 これに対し、張偉平は、馬鹿馬鹿しい、「絶対ありえない」と言う。 その全面的否定の語調から、記者は、 「十面埋伏」のラストは、少なくとも主人公は死なないに違いないと確信した。 (青年時報 003.12.27)
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さて、「日本で怪我の治療中」の金城武が、 昨日、永川に到着したと報じる新聞もありました。 怪我でアクションができないので、吹き替えで行い、 クローズアップシーンだけ本人で撮ると。 また、夜10時の遅い時間だったので、メディアの注意を引くことなく到着したが、 一番興奮したのはチャン・イーモウで、やっと武が到着したのを喜び、 自ら出迎えて撮影計画を相談した――というのです。
到着時間に監督の様子まで報じていて、まるで現場取材というおもむきですが、 やっぱり引っかかるところがあります。 27日の到着というのは、数日前から新聞に出ていたことで(真偽はともかく)、 であるなら、夜10時だからマスコミが気が付かないなんてことあるだろうか? 私なら夜中まで張ってるぞ。
それに、怪我でうんぬんというのがこの件のポイントなのに、 なぜ、到着した武の足の様子とか、全然書いていないの?
しかも、これを報じている成都商報というのは、 監督一行が永川に着いたとき、写真を撮ろうとして スタッフに暴力をふるわれたというので、告訴する、と言っている新聞じゃないの。 どうして、よりによって、アナタ方が独占キャッチするわけ?
このところ、完全に疑い深くなった私は、大本営発表以外、 一喜一憂はすまい、と心に決めておるわけです。
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