(仮)耽奇館主人の日記
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2006年03月08日(水) |
外道家累(げどうかるい)のこと。 |
ここではもう読めないが、以前、しんめについて書いたことがある。 「新芽」、あるいは「神女」と当てる、女性だ。 母方の家族の、大叔父の邸宅の土蔵で暮らしていて、表向きは祈祷の依童をしていることになっていたが、その実は、近親婚を避けるための「道具」だったのだ。 その昔、母方の家族だけではなく、冬は冬季閉鎖されてしまうような、雪深い山奥の家々は、どうしても近親婚になりがちだった。 そのせいで、片輪が生まれたり、死産が多発したりしたのだが、そうした血の穢れを浄化するために、明治の世は、人身売買にかこつけて、身寄りのない孤児の女の子を引き取って、健康な子供を産ませたのだ。 嫁として引き取るのではなく、訳ありで引き取ったのだから、とても世間に顔出し出来るはずもなく、常に土蔵に押し込めていた。 そうした「道具」としての女の子たちのひとりが、しんめだった。 私を可愛がっていた、大叔母は、大叔父の妻としては、いわゆる産まず女、即ち、「石女(うまずめ)」だった。 現在なら、不妊症だったのだが、要するに子供を産めないので、そのせいで色々あって、癲癇持ち、精神障害に追い込まれた。 それで、しんめが代わって、大叔父の子供を産んだのだが、話はもっとややこしくなる。 しんめが産んだのは、大叔父の子供だけではないのだ。 大叔父の弟たちの子供も産んだのである。 幸か不幸か、全員、男子で、「余った」子供は里子に出されたり、奉公という形で売られたりした。もしも、全員女子だったとしたら、跡継ぎとしての男子が生まれるまで、色々な男たちの子供を産まされただろう。 いくら、穢れた血の浄化とはいえ、人権をまるごと無視したこの行為には、私は口を鉛のように重く沈めてしまう。 一部分だが、この話を聞いた魔女ヴィーも、顔をそむけてしまった。
・・・・・・
だが、私は時々思うのだ、幼い頃、土蔵の中で会ったしんめの顔、その表情、声色、しぐさを思い出す度に、しんめはしんめなりに、幸せだったのかもしれないと。 私を優しく迎えてくれたしんめには、人間が抱えがちの、泥のような暗さは微塵もなかったからだ。 聞くところによると、大叔父は臨終の際、看取ってくれたしんめに対して、両手を合わせて、涙を流したという。
ほんとうに、しんめはわしらにとって、菩薩様だったんじゃ・・・
しんめの子供の一人である、イエアゴー伯父がそう語ったのを思い出す度に、私の中では、血という炎に炙られて苦悶し続ける大叔父たちの「地獄」に慈しみの手を差し伸べる、菩薩変化としてのしんめの神々しいイメージが浮かぶ。 女性としては、畜生にも等しい扱いを受けたしんめ。 だが、その中でも、優しさを失わなかったしんめを、私は心の底から尊敬し、愛している。 もし、私が大叔父の立場だったなら、どうするだろうか。 一人の女性の人生を犠牲にしてまでも、家族を守ろうとするだろうか。 当然、家族を守る方を選ぶだろう、外道とののしられても。 でも、幸いなことに、今は好き好んで望まない限り、近親婚はありえないので、しんめのようになる女性は現れないだろう。 だが、私は密かに・・・ しんめのような女性を我が家に置きたいと願っている。 それは、私自身の難聴という障害の血への恐れ以上に・・・人間としての外道ぶりに血を沸き立たせる何かを心に秘めているからだろう。
しんめよ、我が身を苦しみと飢えから救いたまえ。
今日はここまで。
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