(仮)耽奇館主人の日記
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2006年01月01日(日) |
Dig No Me Grave. |
Happy New Year! 一年の計は元旦にあり(書くのは二日だけど)ということで、俺の本当の気持ちをここに書こう。 俺は後三年で、今の仕事と、お寺、家族を捨て去って、もっと自由な身になる。 そのために、住職のケンタにミスラ君をつけたのだし、俺になついている檀家のじいさまばあさまたちを言いくるめているし、家族たちはもっと自立心を持てるように鍛え上げている。 俺はもう俺自身のためだけに生きたいのだ。 もう三十半ばも過ぎたし、残りの人生は好きなようにやらせてもらう。 自由になる俺の姿を思い浮かべる度に・・・ なぜか、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のシーンが浮かんでくる。 荒野を一人で歩く聖人の姿だ。 そこから、連想でつながって、ぼろぼろの僧衣を着て、晴天の下、人ごみの中を歩く俺自身。 俺にとって仏教とは宗教ではない。 そもそも宗教とは、本来、複雑になり過ぎた人間の心をまっさらにするものだ。 多くの人間を利用するものではなく、一個人が利用するものであるべきだ。 だから、俺にとっては「教え」ですらない。 墓も念仏もいらない、いるのは、俺自身だけだ。 生きようと、荒野、もしくは人ごみの中を一人ででも進む俺自身。 ケンタよ、じいさんがおめえに後を継がせたのは、俺もいい思いつきだったと思うぜ。つくづくな。 俺は生まれつき、せっかちな性分だから、歩くのははええんだ。 本山から、あのヘンなやつはどうしたって言ってきたら、頭がどうかして、どっかいっちまったって言っときな。 それで十分、納得するさ。 俺はいつでも俺の脚を厳しく動かしていたい。 じっとしてられねえんだ、ほんとうに。 俺は俺自身にも執着したくねえんだ。 常に、流れていきたい。
俺はもっと広い世界へ歩いていくのだ。
そのために、昨日、今日、明日と歩き続けている。 今日はここまで。
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