(仮)耽奇館主人の日記
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2005年05月12日(木) |
人を愛するには、孤独を知れ。 |
少女監禁の事件の類いが目につく度に、私は思う。 痴れ者である以前に、孤独を恐れて、孤独との正しいつきあい方を学ばなかった輩の何と多いことか。 友達づきあいに、恋愛や、セックス、SMを利用してまで、そんなに淋しさを紛らわせたいのだろうか? 私は、今でこそ、友人たちや愛する人たちに囲まれているが、幸い、最初は孤独だった。 補聴器をつけ、会話訓練を受ける以前は、全くの無音の世界だったから、当然、内向的な世界観から出発したのだ。 外界の様々な光景よりも、常に自分の、自分自身に残された、まともな感覚を再点検する毎日だった。 聴覚が頼りないわけだから、視覚、嗅覚、味覚、触覚の四感とじっくりつきあうために、常にひとりぼっちでいることが必要だったのである。 父母の愛、家族の愛、周囲の愛はそれなりにあったが、愛されることに慣れても、自分自身の感覚で、愛することを知らなくては、人間としては全くの未完成である。 性善説とか、性悪説とか、人間そのものについて語るよりも、まず、孤独のうちで育むアイデンティティこそが、すべての出発点になるのだ。 その感覚のなかで学んでいる最中の、私は、まだまだ愛というものを知らなくて、理想と現実がそれぞれ相容れがたい物質として、心のなかを渦巻いていた。 そして、色々な異性や同性とつきあってきて、色々な形の愛を知ったり、失敗を重ねたりすることで、それなりに経験を積み・・・ ・・・今日にまで至っているわけだが、今では、理想と現実は、もう相容れない物質どうしではなくなっている。 孤独のうちに磨き続けてきた感覚によって、自分のスタイルというものを完成させ、人間的な落ち着きを獲得して・・・ ・・・余裕たっぷりに、冷静に、情熱的に、人を愛することが出来るようになったからだ。 そういうことなのだ。 小学校の、クラス替えで味わうような、仲のいい友達が他のクラスに行ったからといって、絶望的なショックにいつまでもいじけている・・・そんな感覚をいつまでもひきずって、ガキっぽい衝動でもって、年端のいかない少女を監禁して悦に入る・・・ そんな、人間として未熟な輩は、ほんとうに、自殺して頂くか、薬殺処理してしまうべきだ。 生きているだけで、恥ずべき存在だからである。
闇のなかで、永く、ひとりぼっちでいられる者こそ、愛することを知っている・・・
このことを頭のなかで繰り返しつつ、私は映画「オペラ座の怪人」のラストに流れた歌をここに引用したい。
「Learn To Be Lonely」
空虚のなかに生まれ落ち 荒れ果てた世界に生きる子供よ 孤独でいることを覚えなさい 暗闇のなかに 一筋の道を見つけるすべを学びなさい
誰が おまえのためにいてくれるのだろう 誰がおまえを慰め 気遣ってくれるのだろう 孤独でいることを覚えなさい 自分で自分の友となるすべを学びなさい
外の世界に おまえを抱きしめてくれる人がいると 一度も 夢見たこともなく おまえは いつでも知っていた おまえの心は ひとりぼっちだと
だから 寂しさのなかで笑ってごらん 荒れ果てた世界に生きる子供よ 孤独でいることを覚えなさい 一人で生きる人生を 愛するすべを学びなさい
孤独でいることを覚えなさい 人生は生きるに値するもの 人生は孤独でも愛せるものだから
孤独を恐れるな。孤独は君の心に自尊心をもたらしてくれる。自尊心は実力を、自信をつける原動力だ。そうして、自分自身を愛することが出来れば、君は初めて、人を愛することが出来るのだ。 今日はここまで。
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