10年前のこの日、明け方になってやっと布団にもぐりこんだ矢先の地震でした。 その時の揺れの大きさは大阪で震度5。 大阪では珍しく大きな地震で、今にも崩れそうなアパートの一階の部屋で、『二階が崩れて目が覚めたら死んでるかも…』と思いながら、不思議に「このまま死んでもいいや。」そう思ってそのまま眠ってしまったくらい、満足感と幸福感に浸っていた日でした。
翌日、あまりの事に一瞬現実感が無かったのかも知れません。 震源地は大阪ではなく神戸。 目が覚めて阪神高速道路が粘土細工のようにぐにゃりと引きずり倒されているのを見て、自分が目が覚めてるのか、まだ寝ていて夢を見てるのかはっきりせず、時間が経つにつれて徐々に、地震の瞬間の自分の能天気さにかなりショックを受けました。
あちらこちらで、居てもたってもいられず、とるものもとりあえず手当たり次第もてるものを抱えて神戸へと向かう人。 夜中もずっと煌々と灯りをつけた量販店、地元コンビニに、神戸方面の人々のために買い物に来る人や、逆に被災地の方から物資調達に買出しに来る人などが差し迫った表情で行き交うのを目の当たりにしました。
実際現地に行かれた方達から現状を聞くにつけ、身が切られるような思いというのはこのことかと大自然の力の前に人間の非力さ矮小さに酷く切なくなりました。 新潟沖地震の被害、台風の被害、スマトラ沖の地震。そのどれも対岸の火を眺めるような気分にはなれません。
阪神・淡路大震災は10年前の過去の出来事ではなく、距離の問題ではなく、あの時の関西の混乱と憤りと悲しみは、今もあちらこちらに飛び火して続いているような気がしています。
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