| 2004年09月19日(日) |
南海ホークスが消えた時。 |
管理人が住む地元は昔からソフトボールが盛んで、各町会に大人・子供、男・女に分かれてソフトボール・チームがあり、もれなく管理人も子供女子ソフトボール・チームに入っていました。 チームの監督・コーチも町会の役員さんや有志によるボランティアなのですが、なぜかうちの父も女子ソフトボールの指導に引っ張りだされて参加していた事もあって、基本的に「野球バカ」な環境に育った訳です。 (お向かいTさんも当時は男子ソフトボールの監督を引き受けてくださってて、ご自身の息子さんお二人とも野球の名門校に入学、甲子園に出場経験のある方なのです。)
運のいいことに、父が監督をしていた時、コーチをして下さっていた方が大阪球場の職員の方で、一塁側(三塁側はさすがにタダでは座らせてもらえません。笑)バックネット裏のチケットを よく分けていただきました。(大阪球場に足繁く通えたのはそのおかげ。) あるときはソフトボールチームの子供全員を球場に招待してもらって、皆でプロ野球観戦をしたりも。(パ・リーグはデイ・ゲームも多いので。)
南海ホークスが大好きなのはその時の楽しい思い出のせいです。 今思えば子供だったなぁ〜と。一塁側(アウェイ・チーム側)から黄色い声を出してホークスを応援というのもなかなか大胆ですよね。
その南海が名前が変わって、九州に行き、あの緑色のユニフォームが消えてしまい、大阪球場もいつの間にか住宅展示場になってしまいました。 その頃確かに野球から少し気持ちが離れたのは事実です。
また一つ球団が消える。
今、野球やソフトボールにに夢中な子供、今、親に大阪ドームへ連れて行ってもらった楽しい記憶を持つ子供も、プロ野球から少し気持ちが離れるのは確かです。
だから、私は未だに南海ホークスのファンだと言ってしまうのです。
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