FayeBlue
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2001年06月12日(火) |
古き良き仲間。(続 ) |
うちらのバスケ部は木曜日が部定(定休日)だったため、 その日は朝に練習があった。 それ以外の日の朝が別に 来なくちゃいけないっていうよな強制的なものではなかった。 いわゆる自主トレだった。 河原へ走りに行ってもいいし、筋トレしててもいいし、 シュート練しても良かった。 8時半からHRだったから、7:30AMには学校に来て 約1時間ほどの自主トレが、暗黙の了解だった。
私たちの上の先輩は毎日全員が(マネージャーも含め)来てた。 それがすごい印象的だった。 だから私らも自然と毎日来るのが当たり前となっていた。 私らの後輩は(ボイコットの時に話し合いでいわれたよね。) 別に自主トレなんだから、来たい時来ればいいし 自分らは自分らなりにやってる、、、という感じで 朝来るのもまばらだった。 たまに確かに来なかったり、来れなかったりした時もあったけど うちらの代は皆毎日来てたよね。
メチャメチャ遠い所に住んでたりするのに、私(チャリで15分) より早く来てる時は、私カンドーしてた。 レギュラーで出れなかったり、試合にさえも出してもらえなかったり したのに、練習毎日来て、朝練も昼練も誰よりも頑張ってる姿に 私もガンバロウってよく励まされたんだよ。 うちら才能あった方かない方か、って言われたら、あまり なかった方だったけど、努力してたよね。
私は今でも鮮明に覚えてる、三女校戦。 下馬評では二女が1位、三女が2位、そでぃて一女(我ら)が ビリだろうって言われてたけど、ドンデン返しで、 うちらが1位になったんだよね。 リポDとか試合の間に飲んで、皆体力の限界の中で頑張ってた。 私はベンチでの応援してただけだったけど、皆と一緒に 燃えてたよ。 この時やっぱり1コの差の大きさを思った。 いつもなら調子のいい後輩が、すごく調子が悪かった。 緊張していたのだろう、、、、。 本番に弱いのか、、、、。 でもリラにミク(部名だからいいよね?)がそこをしっかり カバーして、カバー以上にリードしてた。 緊張を逆に闘志に変えてた。 安心して見れた。 さすが先輩って思わせるものあった。
最後の高総体。 運悪く2会戦で優勝候補の学校と当ったよね。 でもうちらすごかった。 後輩・先輩、チーム一つになってた。 相手の高校焦らせるくらいのゲームをしたんだよね。 あとちょっとで、、、、っていう点数差にしたんだよね。 皆とバスケしてて本当に良かったぁ、、、って思ったよ。 同じ同士でもめたりした事もあったけどね。
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