喰いえるコトなど

グルメ?何それ?ウマイはウレシ、マズイはタノシ。
いわゆるひとつの食い意地日記

2002年01月06日(日) シナリオ・七草粥まで

「一緒にボーッとできる友達」と楽しく年末年始を過ごし、
「一緒に際限なく食べる友達」である事を確認した年の初め。

楽しく過ごしたその証として、私の身体には
4キロの脂肪がうっすらと全身にまとわりついた。
世間一般では、新年の目標をたてたりする年の初め。
こっちはソレどころやないっちゅーねん。
4キロ落とさなあかん…………。

まず一年の目標を立てるべき三が日には、ただひたすら食べ続けた。
お腹いっぱいになっても、勧められた品が
どんな味か確かめるために箸を運ぶ、運ぶ、運ぶ。
箸を運び続けた後は、苦しいお腹を抱え、友と急ぐ家路と居候路。
飲食店が目に止まると始まる会話。

「なぁなぁ、明日の夜御飯、どうする?
 ココ、美味しそうやと思わへん?」
「おっ、ええやん、おいしそうやなぁ………
 つーか、明日も“御呼ばれ”決まってるやん!すでに!!」と、
お腹がいっぱいであろうが、
次の日の夜メニューをきめる余地が自分にあろうが、なかろうが、
次に口にするものを、際限なく夢みる私。
そうして、同じくお腹いっぱいであるはずの友人の返事は決して
「今、お腹いっぱいやから食べ物の事考えられへん………」
ではないのだ。

どんな感覚しとんねん?
お腹いっぱいの時くらい、食べ物以外の事を考えてええがな。
新年の目標とか…………。

しかし、私は日を追って身体が重く感じていこうとも、
持って行ったストレッチスカートやストレッチパンツの
履き心地が、日々窮屈になろうとも、どこか心に余裕があった。

これが正月でなく、平日にこのような生活をし、
日ごとに身体が重くなっていく事を実感したらば、
心の中はこんなに平静ではなかったであろう。

なぜにそうも平静な心であったのか?
なぜならそれは私が日本人であるからだ。

そう、昔の人は偉かった。
日本には正月明け、七草粥を食べる日というものがあるのだ。
この馬鹿馬鹿しい飽食の日々に、区切りをつけるべき日がある。
せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草)、はこべら(はこべ)、
ほとけのざ(たびらこ)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)。
正月に食べ過ぎ、飲み過ぎ、疲れきた胃腸を癒し、
緑の野菜をたっぷり入れ、その年の無病息災を祈る。
え〜え習慣やないですか。
日本人として、この習慣を無視するワケにはいくまい。


私の頭の中には一つの筋書きがあった。

「7日の朝食にそれら七草をいれたお粥を食すと言う事」

普段は玄米食だが、やはり七草粥は見た目にも美しさが欲しい。
白米をコトコトコトコト炊いて、粥を作ろう。
ごはんから作る粥より生米からつくる粥のほうが、
美味に感じるのは気のせいだろうか。

粥ができたなら、まずは重湯をすする。
緑の葉が見えかくれする白濁した汁。
お米の甘味に微妙な塩味をつけた熱々の。
口を椀につけ、火傷をしないよう充分に気をつけながら。
あの優しい味わいの汁が咽を通っていく。
するとどうだ、なにやら身体がゆるゆるとする。そこで気がつく。
「ああ、自分はこんなにも胃腸を酷使し、
 身体に負担をかけていたのか……。
 ごめんなさい胃さん、ごめんなさい腸さん………」

ふふふ。

ここで私はオノレの口汚さを反省し、
身体をいたわる心を取り戻すのだ。
そうして食生活を厳しく律し、キチンと食べながら、
身体も軽くなっていく……………………
………………………………………………
………………………………………………
ハズだったのだ。

オノレの頭ん中ではな!←捨てゼリフ


(今度はホントに)続く



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