友人の掲示板に「英文学」の始まりについての書き込みがあり、 少しコメントをしようかと思いましたが、こちらは研究している輩ではありませんので、 ここは自粛して自分の日記に書こうかと。(あくまでひとつの意見として。誤解を恐れずに。)
歴史的には、ブリテン島は血なまぐさい戦いの連続で、さまざまな民族の入れ替わりがあり この国自身が複数民族からの支配の連続でした。そして、絶対王制を確立したヘンリー8世の 時代には、ある意味、日本の徳川時代のような安定期に入りましたが、大陸からの侵略を 回避しようとする動きから出てきた時代の産物が英文学とも考えられますが、それは文学と いうよりも、文化の保持をするための歴史の回顧と言った方がいいのではないでしょうか。 (やり方が一時の日本と似ているところはあります。)
浅はかな知識を披露するとすれば、英文学はどこかの大学で始まったということでなく、 英国のインド支配から始まったと記憶をしています。インド土着人に英語を普及させるために。 交易をするならば、当然相手側の言葉を理解する必要があり、「支配」の意図があるとはいえ、 インドは交易相手ですから、その相手が言葉を理解していなければなりません。
ただ、その言葉を理解する相手は土着人の全てとする必要はなくて、交易相手の属する 階級の人間で良かったわけです。そういう意味では、狙いは今の英文学とは異なるものが ありそうです。(「英文学とは?」という命題に対して真剣に考えている人は多く、 その解についても様々な見解が存在していることも理解していますが、ここで言う「今の 英文学」とは、あくまで英語の文化、言語を学習するための座学の教養、という意味で 使います。コミュニケーションを学ぶ手段としては、別の学問があるとして。)
ですから、言葉は「文学」という表現をしていますが、その「文学」を使って何をしようと しているのか、に尽きると思います。「英文学」という学問である必然性は、その 原点に帰って、「文学」という、ひとつの解のない学問を使って、意図的に何らかの 狙いを実現しようとしていたことにある、と考えています。そこに大学が存在し、 そこから輩出した卒業生がその流派を作り、ある勢力をもって物事を動かす。 まさしく政治的な動きであると思いますし、宗教が介在すると思います。
でも、そもそも学問とは、教養の座学であったわけではないはずで、またいかに生活に 役立てていくかに主眼があったはずで、それが倫理学であり経済学であり哲学であり 医学であり工学であり、それらの一部が後世になって文学として切り離されたと考えれば いいのではないでしょうか。
というか、文学ギライで、読書もろくすっぽしていなかった(中学生以降)自分が 文学議論に首を突っ込むことには無理がありますので、ここらへんでご容赦を。 ※あんた文学士だろう!というのは言わないお約束。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
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