| 2003年08月06日(水) |
北条政子のイデオロギー |
日本史もただ年代と出来事だけを覚えていたんじゃイカンね。
1192年は源頼朝が鎌倉幕府を起こしたことは誰もが知っています。 でもその後の承久の乱で日本の思想が180度転換したことはあまり 知られていません。(自分も気に止めていませんでした)
承久の乱を振り返りましょう。 承久元年(1219年)後鳥羽上皇に従順であった三代将軍源実朝が暗殺 されて源氏の正統が消滅しました。北条氏は藤原氏を迎えて将軍として、 実権は執権の北条氏が握りました。
後鳥羽上皇に従順でなかった執権北条義時に対し、上皇は幕府征伐を決意 しました。後鳥羽上皇は承久三年に兵を動員して討伐計画を発動しました。
ここまでは歴史の教科書通り。
鎌倉幕府の創始者源頼朝は天皇信奉者。天皇の勅命にはひざまずいてうや うやしく承る姿勢を取りました。この頼朝の権威とともに世の武士たちは 同じく天皇信奉の考えであったと考えられます。従って、幕府のトップで ある泰時をはじめ鎌倉の武士たちは朝廷へ弓を引くことは心理的に困難で ありました。
この状況を打ち破ったのが頼朝の妻である北条政子。義時の姉でもあります。 この人の力は絶大でしたから、関東の武士を呼び集め、そして言いました。
「一同の者、よくよく承れ。汝ら、今日の収入といい、官位といい、すべて 頼朝公のおかげではないか。その御恩は山よりも高く海よりも深いであろう。 それを忘れて京へ参り官軍につくか、それとも頼朝公への御恩を考えて鎌倉 方として御奉公するか、態度をはっきり決めて、ただ今ここで申し切れ。」
その結果、
「並びいる大名小名、これを聞いて涙を流し鎌倉への忠誠を誓います。」
そうです。天皇に弓を引いて戦争をすることを納得したのです。源頼朝の 天皇信奉の考えはここに転換を向かえるのです。
専門用語で「予定説」という言葉があります。これは神が決めたことはその 善し悪しに関わらず正しいことであり、人はそれに従うことになるという 考え。その善し悪しは神が決めることであって臣下が決めることではない。 神が正しいことを決めるのではなく、神が決めたことだからこそ正しい。 故に神は絶対的な存在であるというのがキリスト教の考え。かつての日本は (鎌倉以前の日本は)キリスト教と同じ予定説に従った考えが支配的でした。
その日本を支配してきた予定説をくつがえしたのが北条政子の考え、言い替 えれば彼女のイデオロギーでした。このイデオロギーはその後約600年に 渡って武家政治の基本思想となりました。つまり明治維新まで続いたという ことです。ご存知の通り、明治になってからは天皇は全てにおいて絶対的な 存在になりましたから、形式上は元に戻ったことになります。なにせ天皇は 教育勅語に見られるように「朕」でしたからね。
イデオロギーの転換は急速に行なわれるものではないと言われていますが、 その点については今回は省略します。泰時は承久の乱の後に苦しんだそう ですよ。人間はそう簡単には変われないのは昔も今も同じこと。
さて、今日は58回目の広島原爆投下日。 犠牲者の皆様にご冥福をお祈りするとともに、今尚続く被害者のご苦労に 対して、何もできない自分の無能さを感じています。国連の常任理事国は すべて核保有国であることに疑問の念を感じながら。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
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