NHKドラマ「武蔵」を見るたびに思うんですが、まったく時間の観念が 様変わりしていますね。あるいは大阪でご活躍の「大西ユカリ」さんの 紹介番組を見ておりまして、その地元付き合いの仕方を見ておりまして、 東京では隣の部屋の人の顔すら知らないで生活できるのは、別に近所と 付き合いをしなくても個々人の通信手段があるので生活には困らないと いったところを考えてしまいました。
情報の早さが近所付き合いを疎遠にしてしまっていると考えると、窓の 外でしゃべっている人の話し声が騒音に聞こえてしまうと、情報通信の 発達は果たしてこれは日本の良き伝統を破壊しているのではないのだろう か、村とかお隣さんといった最小限のコミュニティーで形成されていた セキュリティー単位をより小さくしているのではないだろうかと考えて しまいます。
いや、何を言いたいかというと、情報の早さは誰もが求めていることなの ですが、それがある到達点まで行ってしまうと、仕事のやり方も生活様式 もどこに行っても収斂されて同じになってしまうんではないだろうかと 思ってしまうわけですよ。人に関係なく会社に関係なく国に関係なく。
ただこれも限定されたところにおいてになるだろうから、それだけ激しい 差を生んでしまうことになるのでしょう。それが10年先なのか50年先 なのかは分かりませんが。まさしくこれは資本力の差であり経済力の差。 あるいは資本主義を選択したかそうでないかの差。
そう考えると、北朝鮮はどちらに進むんでしょうかね? 先進国と呼ばれる国は明らかに資本主義(正確にいえば社会主義的な資本主義) ですし、中国やロシアも社会主義の限界を認めて資本主義を導入しているし、 北朝鮮も影響されてくるのだろうか?それとも裏社会との共存をしながら 孤立する道を選択するのか?
中国やロシア(旧ソ連)は革命を起こすことができた土壌がありましたから まだ健全な社会であったと言えるかもしれませんが、北朝鮮はそれすらも 起こすことを否定しているわけですから、国家元首が動かない限りどうにも ならないかもしれません。この点はイラクと同じ。かつての日本と同じ。
とはいえ、時間の進み方が早いというのは、経済変動の短期化を促進する ものであり、なによりも生活の安堵感を阻害するものです。便利になる一方で より複雑なシステムを作り上げてしまうことになります。情報量の多さに 人間の脳がついていくか疑問も出てきます。
ただ、変化が大きいということは、特にビジネスにおいてはチャンスも多い ということであるので、必ずしも生活を阻害するだけではありません。時間 の進み方を感じ取りながらうまく付き合っていくことでしょうね。どんな人 でも時間を止めることはできませんから。
こういうことを考えることのできる国に生まれただけでも良かったかなと。
はい。今日は曇り。(東京地方)
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