戦後の映像を見ているといかに現在の生活が豊かになっているかを思わせられ ます。「豊か」という言葉に敏感になる方もいらっしゃるかもしれませんが、 狭義での突っ込みは無しってことで。
昭和20〜30年代は復興から経済成長へと向かう時期。 みなが生活の向上を願って一生懸命に働いた。物資の不足を労働で収入を増や すことで補ってきた。だから物を作れば売れたしそれで収入が増えたから次の 物資を作る原資にできた。そのサイクルがうまく回っていたので経済は成長 (拡大)した。
工業化の余波を受けて農林水産業からの労働移転が急速に進んだのもこの時期。 国の政策が工業化による発展だったから農林水産業より工業の方が優先された ために農林水産業従事者が離職を余儀なくさせられたという面も大きい。
たとえば霞ヶ浦の漁業が衰退したのは30年代後半から。 これは工業化の促進とともに霞ヶ浦周辺の製造業が出す廃液の影響と下流の取水 ダムの影響。海水の逆流阻止として作られたはずのダムが湖水そのものの汚水を 流し出すことを堰止めることになってしまったという皮肉さの象徴。そして何よ りも鹿島臨海工業地域の建設が労働力を吸収してしまったことが大きいと思える。
家の玄関や縁側で足を洗ってから居間に上がっていた時代は知りませんが、小さ い頃、裏のじいさんちが戦後の作りで、五右衛門風呂と井戸水の取水で生活して いた家であったから、ウチの風呂釜が調子悪い時には五右衛門風呂に入りに行っ た記憶がある。これまた入り方にコツの必要な風呂で、釜に背中を付けようもん ならヤケドをするから半立ちで入らなきゃいけない。火はもちろん薪ね。それ から土間というのは本当に地面は土で、ここをちょろちょろネズミが徘徊する からネズミ取りもあった。トムとジェリ−に出てくるあのネズミ取りと同じです。 さすがにチーズではなかったけどね。
そんな生活が当たり前だった時代に比べると、今は生活物資は向上し、より苦労 をせずに生活ができるようになってきた。物量もそうですが、質の向上がより 大きいでしょう。
経済成長の頃は作れば売れる時代でしたが、その後は消費者も賢くなりました からどれだけニーズに合った商品を作れるかが製造業の頭の絞りどころとなった。 それを作れるところが生き残った。戦後のドサクサで生き残った頃を一次とする と、この時は二次淘汰ですね。この二次淘汰で生き残った企業が今の大企業に 発展してきていると思っても大きな間違いではないでしょう。中小企業でもこの 頃にしっかり生き残ってきたところは今でも多くが健在でしょう。個人店、中で も卸小売業は流通の変化により衰退してきましたけどね。ほら、街の文房具屋 さんや雑貨屋さんなんかはなくなってきているでしょう。
こんな戦後の変化を知らない若い世代はこれからどう変えていくんでしょうか。 変えるつもりは無いんでしょうか。周りが変わっていることに一番敏感なのは 若い世代ですから、自分たちが住みやすい社会にするにはどうしたらいいのかを 考えていて欲しいもんです。
なーんていうのはオジサンの人頼みのたわごとです。はい。
今日は曇りのち一時雨。(東京地方)
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