しむちゃんのつれづれ日記
文字サイズは「中」が最適なようです。

2002年09月08日(日) ひとのせいにしても・・・

”走っても走っても近づくことのできない太陽。
そんな太陽が沈んでいく自分をあざ笑っていた・・・。”

このドラマ、佳境に入ってきましたね。
でも主人公はまだこんなところで死んでしまうわけにはいきません。

背景は違いますが、親父と同じ生き方はしたくないという思いは
自分も同じです。親父の血が流れている事実こそあれ、だからと
いって同じ生き方をしなきゃいけないわけでもないし、同じ道を
たどる必要もない。育ててくれた恩はあるものの、それが自分の
人生を決定してしまうのは個としての人間性を無くしてしまう。

これは反抗期の反抗心とはまた違うもので、同じレールは歩きたく
ないというか、自分というものを見つけ出してきたというか、
単に親父の背中を見たくないこともあるでしょうし、暮らしてきた
生活を繰り返したくないという思いもあるかもしれません。

親父の社会的な地位が高いから自分も高くなれるのは世の常ですが、
その逆だったらどうでしょう。親父の社会的な地位が高いわけでも
ないのに自分はそうなりたくないなんて思っても、お前は高く飛ぶ
ことはできないなんて三行半をつきつけられたら、その現実を受け
止めることはできるでしょうか。特に若い時代においては。

少なくとも親父の過去や今の姿に反発している限りは、その記憶が
ある限りは、親父のようになりたくないという気持ちは離れません。

そうこうしているうちに親父は年を取り、自分より弱い立場になって
いきます。そんな親父を見ていてもやっぱり親父のようにはなりたく
ないという気持ちは持っているもので、これは親父をひとつの生きる
指標にしているんだと思います。良かれ悪しかれ。

すべての人がそうだとは言いませんが、自分にとっての親父とは
自分の生きる方向性を決める価値を持っていると思います。もし
早死にしてその目標がいなかったら、あるいは認めたくないような
別れ方をしたならば、その目標を失った自分はそのあと何を見て
いけばいいのか分からなかったでしょう。

そういう意味でも親父は生きているだけでも価値があります。
たとえ今考えていることが頼りなかったり間違っていると思われる
ようなことだったりしても、それが自分に必ず跳ね返ってきますから。

親父を否定しても自分を否定するようなことのないようにしなきゃ。
でなきゃ、親父を否定した意味が無い。親子関係を語るだけの
考えは持ち合わせておりませんが、少なくとも自分が惨めにならぬ
よう、人のせいにして生きていくことだけは止めよう。特に親を。
何の解決にもならないから。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)


 < 過去  INDEX  未来 >


しむちゃん [HOMEPAGE]

My追加