| 2002年05月28日(火) |
「予定調和」を勘違い? |
以前、友人が言った「予定調和」の意味を分かったような気がしたなんて いうことを書いた記憶があります。確か、お互いが振って振られたことを 例えた友人が言った言葉。でも「調和」と言う言葉を考えすぎていた。 「お互い」と「調和」が同じベクトルを向いていると思った。
この「予定調和」という言葉は、アダム・スミス(一般的には古典派の経済 学者)が作った言葉。
”利己心にもとづく自由競争は、個人の利益を増大させるのみならず、神の 「見えざる手」に導かれて、社会全体の利益の増大をもたらす。”
ここで説いている「見えざる手」のことを言いたかったんだと、今更ながら 思い直しているところです。レッセ・フェ−という言葉を中学か高校の教科書で 覚えた記憶はありませんか?あれです。自然の条理とでも言いましょうか。 自然の秩序とでも言いましょうか。
自己の責任において自己の意思によって決めたこと、ということでしょう。 それが神による「見えざる手」によって導かれた結果であると。
日本語の置き換えが正しいかどうかはありますが、それが長い間使われて いるのですから、それが標準的な言葉として受けとめるべきなんでしょう。
学問としての「予定調和」はもっと奥の深い、哲学的な言葉なんでしょうが、 身近な生活での出来事に使ったその友人は言葉の幅が広いと思いました。 こんな人のことを知的な人と言うんでしょうね。今更ながらですが。
少しずつ経済学に関する言葉を覚えていくうちに、あの時のあの言葉はこんな ところから来た言葉なんだなと思えてきました。意味のあった言葉を使って いたのに感じ取れなかった自分は、何者だったんだろうかと。
でもこういう感じ方を持てるようになったのもその友人のおかげです。 今は連絡も取っておりませんが、心の中では大事な人です。 (連絡も取っていないのに友人と呼ぶのはいかがなものかという突っ込みは 決してしないように。(笑))
はい。今日は晴れのち曇り。(東京地方)
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