2001年06月19日(火) |
足は速いのに肩が弱いって |
中学3年間・高校1年間野球していました。
オヤジの遺伝でしょうか、短・中距離走は速かったんです。 オヤジは高校のとき佐賀県大会の100mで優勝した人です。 家が貧乏だったから全国大会には出れなかったらしいですけど、シューズ は大事に持っておりました。当時はまだ重たい鉄のピンが付いたやつ。 見ているだけでも時代を感じるシューズです。
そんなオヤジと小さい頃から朝はランニングに出かけて、朝飯食べてから 学校に行っていました。オヤジは市内の陸上大会で年令別に出ると大体 1番になっていましたね。それがオヤジの誇りでした。
それが自分が中学になると立場が逆転し、「オヤジおっせーなー」と思い つつ、自分は短距離では芽が出なかったので中距離をしていました。とは 言っても、陸上部に入っていたわけではなくて、野球をするようになりま した。中学には陸上部が無かったんです。大会があるとそのたびに駆り出 されておりましたが、やっぱり普段から走っている人との差が如実に出て しまいましたので、走ることを専門にせず、得意分野として他にやれる スポーツを選んだのです。サッカーやラグビーで無く野球を。
なんで野球だったかと言うと、単に野球のユニフォームがカッコ良かった から。それだけ。親はスポーツだったら何でも良かったから、すぐにOK くれましたね。野球やること。
でも、自分では特にコンプレックスがあったわけではなかったんですが、 肩が弱かったんですよ。今思えば。(肩と言うよりも手首でしょうか)
高校の時なんか、すっごくそう思いました。遠投では80mぐらいしか 投げれなくて、ずっと外野にこだわっていた自分はセンターかレフトを 守りたかったんですが、メインはライト。たまーにセンターでした。 足が速いのは買われていたんですが、いかんせん肩が弱くちゃセンター ラインを守れないんですよ。ホームから一番遠いから。レフトは球が多く 飛んでくるんで、不利だったんです。チーム的に。
ただひとつこだわりがあって、それは外野ゴロが一番取りやすい守備位置 なんです。ライトって。足には自信がありましたから、守備位地は割と 前の方におりました。後ろに飛んでも取れるぐらいのところにいて、一ニ 塁間を抜けても、トンネルを恐れずにボールに向かって突進して、一気に 一塁へ投げる。それで一塁で刺すことが一番の楽しみでした。
最初の頃は先輩のキャッチャーにお願いして一塁のフォローをしてもらっ ていましたが、そのうち経験と言いますか、慣れてくるとツボにはまりま して、ビシバシと行くようになったんです。自分でも怖いぐらい。
打つ方はまあ、当たれば飛ぶ人でしたから、あんまりあれこれ考えずに 打たせてもらっておりました。
残念ながらヘッドスライディングがこれまたヘタクソで、ヒザを打ちすぎ て怪我が耐えなかったので高ニの4月(1年生が入ってから)に野球部を 辞めました。あの後続けていたら、きっと今ごろヒザが壊れていました。 潮時だったかもね。(それでもその後ヒザが壊れていること発見しました)
いやぁ、若い頃っていろいろありますね。いい経験でした。
はい。今日は曇りのち雨。(東予地方)
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