『日々の映像』

2008年08月14日(木)  北島、二百平も「金」 2大会連続2冠偉業達成

今日は高校同窓会の参加券の販売と五輪のテレビ観賞の一日であった。北島選手は日本中を湧かせた。この偉業を記録として残して置きたい。ともかく、男子200メートル平泳ぎの日本人連覇は、1928年アムステルダム大会以来76年ぶりだという。


五輪競泳:北島、二百平も「金」 2大会連続2冠達成!
                      毎日新聞 2008年8月14日
北島が連続2冠 平泳ぎで初、200も金
                      2008年8月14日 日経
北島、2冠連覇 師の一言、戻った集中力
                      2008年8月14日1  朝日新聞
二百も勝った!北島が2大会連続2冠
                      2008年8月14日 スポニチ
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北島 連続2冠 200平 五輪新
五輪競泳:北島、二百平も「金」 2大会連続2冠達成!
                          毎日新聞 2008年8月14日
 【北京・堤浩一郎】北京五輪は第7日の14日、当地で競泳男子二百メートル平泳ぎの決勝を行い、世界記録保持者の北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が、2分7秒64の五輪新記録で大会2連覇を果たした。2分7秒51の世界記録更新はならなかったが、五輪記録を0秒97上回った。北島は11日に決勝があった百メートル平泳ぎと合わせ、04年アテネ五輪に続く2種目制覇を達成。2大会連続の同一個人種目2冠は日本選手初という快挙だった。五輪通算4冠は、自己の持つ3冠を塗り替える、日本の競泳史上最多記録。今大会で日本勢が獲得した金メダルは5個になった。
 レースは北島主導で推移した。序盤から伸びのある泳ぎで加速し、ターンのたびに2位以下との差を広げていった。100メートル、150メートルのラップで自己の持つ世界記録を上回った。ラスト50メートルをまとめられず、世界記録を塗り替えることはできなかったが、中盤まで食い下がっていた2位のブレントン・リカード(オーストラリア)と1秒24差もの大差を付け、五輪新でゴールした。
 北島はアテネ五輪後、05年世界選手権で無冠に終わるなど、一時低迷した。しかし、07年世界選手権の二百メートルで優勝して復活。今年6月のジャパンオープンで英スピード社製の高速水着「レーザー・レーサー」を着用して二百メートルの世界記録を樹立するなど、順調に調整を進め、北京五輪に臨んでいた。
 ◇みんなの顔見えた
 ▽北島康介の話 ホッとしている。(世界)記録は自分も期待していたが、思ったより最後が伸びなかった。(レース開始が)もう1時間遅ければ、(世界記録の)可能性があったかもしれない。来ている人の顔が、みんな見えるくらいに、レースは楽しめた。
 ◇水着じゃない 僕の力
 二百メートルでは世界記録更新を逃した北島だが、11日の百メートル決勝では世界新記録を樹立。この日のレース後の会見では、今大会で世界記録が続出していることへの感想を問われ「(質問者の意図は)『水着のおかげ』と言いたいんでしょうけれど、そうは言いません。僕は自分の力で出したと思います」と話した。自身も着用した英スピード社製水着「レーザー・レーサー」など、新型水着だけが今大会の好記録連発の原因ではないと主張した。
 ◇低迷脱し再び頂点
 アテネ五輪から4年間、約1500日の時が流れた。その間に選手が肉体的、精神的コンディションを維持するには、膨大なエネルギーが要求される。北島が難なく果たしてみせた連続2冠は、まごうことなき偉業だ。
 日体大4年生だったアテネ五輪で、百メートル、二百メートルともに金メダル。頂点を極めた時点で、競技生活にピリオドを打つ選択肢もあった。だが、北島を14歳から教え続ける平井伯昌(のりまさ)コーチは、米大リーグのイチローを例に「ピークをキープして見せていくのもプロだ」と助言している。
 アテネでは、平井コーチに心残りもあった。「世界記録を出せなかった」。北京五輪へ向け、次なる目標ができた。だが、一度頂点を目指し、極限まで追い詰めた体と心は、やすやすとは思い通りにならない。抜群の集中力を発揮する一方で、「気持ちが続かないのが、自分の悪い点かもしれない」と、北島は自己分析する。
 4年という長い月日を考えると、簡単にはモチベーションが上がらなかった。翌年からの2年は、どん底を経験する。特に二百メートルで苦しんだ。05年の世界選手権は代表の座を逃し、翌年の日本選手権では4位に終わる失態。五輪の金メダリストが「表彰台にも上がれないなんて」と、屈辱をかみしめた。
 心の不調は、体にも伝染する。度重なる故障や、大会前に発熱などの体調不良が続く。平井コーチは焦りを抑えながら「こういう時期があるはずだ。待つしかない」と、自分に言い聞かせた。
 昨年に入ってようやく、持ち前のギラギラとした目が戻ってきた。低迷の時期を振り返り、北島は「遠回りもしたが、あれがあったからこそ、今がある」と言う。世界記録は逃し、「欲を持って臨んだのがいけなかった」と残念がったが、4年前とは「2個の金メダル」の重みは違った。【堤浩一郎】
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北島が連続2冠 平泳ぎで初、200も金
                         2008年8月14日 日経
 【北京=五輪取材班】北京五輪第7日の14日、競泳の男子200メートル平泳ぎ決勝で北島康介(日本コカ・コーラ)が2分7秒64の五輪新記録で金メダルを獲得、平泳ぎでは五輪史上初めて100、200メートルの2種目を2大会連続で制した。
 2大会連続で個人種目2冠は日本競泳史上初めて。男子200メートル平泳ぎの日本人連覇は、1928年アムステルダム大会、32年ロサンゼルス大会の鶴田義行以来76年ぶり。 (11:54)

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北島、2冠連覇 師の一言、戻った集中力
                    2008年8月14日18時49分  朝日新聞
 大きく息をはき、右手の人さし指を天に突き上げた。
 2分7秒64。五輪新。
 男子平泳ぎ200メートル決勝。北島康介が2大会連続2冠の偉業を成し遂げた瞬間だ。
 「ほっとした。(世界)記録も狙っていたが、記録より勝つことが大事。優勝できてよかった」
 まだ、やせ細った少年だった。
 高校3年で迎えた00年シドニー五輪。男子100メートル平泳ぎで4位になりながら、200メートル平泳ぎは予選落ちした。世界に飛躍するきっかけをつかみ、同時に挫折を味わった。
 「金メダルを取ろう」
 北島は、東京スイミングセンターで中学2年から指導を受けてきた平井伯昌コーチと誓い合った。
 外国選手のパワーに対抗するためにウエートトレーニングを取り入れた。長距離選手に向いていると思われた高地トレーニングも本格的に導入した。次々と日本競泳界の常識を覆した。
 02年の釜山アジア大会の200メートル平泳ぎで、2分9秒97の世界新。翌年のバルセロナ世界選手権で100メートルは59秒78の世界新、200メートルも2分9秒42の世界新。シドニー後に芽生え始めたプロ選手になる夢を、2人で実現した。
 世界新を出す前から、平井は周囲に話していた。
 「北京五輪でも2冠を取る」
 北島は来るべきアテネ五輪に集中していた。だが、周囲から平井の思いは聞いていた。2五輪連続2冠は、まだ金メダルを手にする前からの師弟の夢だった。
 常に歩みをともにしたわけではない。
 アテネ五輪後、北島は虚脱感に苦しむ。平井は、練習に身が入らない金メダリストの姿を黙って見ていた。
 「康介はまるで芸能人のようだった。金メダルを取り、交遊関係が広がったのだろう。明らかに夜通しで遊び、練習に来たことがあった」
 得意だった200メートル平泳ぎで、北島は05年も06年も日本選手権のタイトルを逃した。
 06年5月、北島は平井の誕生会を開いた。
 「試合以外で、コーチを喜ばすことがなかったから」
 崩れかけていた関係に、無意識のうちに気がついていた。
 北島は平井に酒をついだ。 「酔わせて翌朝の練習をやめさせようとしているな」
 平井は飲みながら、そう感じた。だから酔ったふりをして言った。
 「康介が苦しい時は、北島康介のコーチもつらい」
 座が静まりかえった。
 翌日、北島の集中力が戻った。悩んでいたのは、自分だけではないことを知った。
 北島は、「平井コーチとの二人三脚」とは言わない。トレーナーら、多くのスタッフにも感謝の思いがある。
 それでも平井コーチへの思いは特別だ。「コーチというより、先生。2人がかけてきた年月は長い。平井先生と一緒に、この五輪を集大成の場としてやってきた」
 2人のストーリーを完結させた。(由利英明)
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二百も勝った!北島が2大会連続2冠
                        2008年8月14日 スポニチ
 【北京五輪 競泳】男子二百メートル平泳ぎ決勝で日本のエース北島康介(25=日本コカ・コーラ)は2分7秒64のタイムで2連覇を達成した。自身が持つ世界記録の更新こそならなかったが、北島は百メートルと合わせて2大会連続で五輪2冠を達成。五輪での金メダルは通算4個目となった。

 北島は王者らしくスタートから自分のペースで泳ぎ切った。50、100、150メートルと常にトップをキープ。ラスト10メートル付近までは世界新記録ペースだったが、最後のもうひと伸びが足りなかった。それでも他を寄せ付けない完ぺきな強さを見せつけた。

 二百メートル平泳ぎの連覇は1928年アムステルダム、32年ロサンゼルスの鶴田義行以来、76年ぶり。4個の五輪金メダルは日本の全競技を通じて、8個の加藤沢男、6個の中山彰規、5個の塚原光男、遠藤幸雄、小野喬(すべて体操)に次いで獲得数歴代6位となった。日本のお家芸だった体操を除けば、柔道の野村忠宏らの3個を抜いてトップだ。残る種目はメドレーリレー(15日予選、17日決勝)。今大会3つ目のメダル獲得を狙う。

 ▼北島康介の話 (世界新)記録が出なくて少し悔しい。優勝できたことをすごく感謝しています。もう1回、この舞台に戻って、一番高いところに立ててうれしい。この舞台を夢見てやってきた。自分1人ではここまでこられなかったし、この喜びをみんなで分かち合いたい。
[ 2008年08月14日 11:17

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石田ふたみ