2008年04月24日(木) |
母子殺害死刑判決 厳罰化の流れが強まるか |
意味なく簡単に人を殺す、この世相は深刻と言わねばならない。 9年前、山口県光市で起きた母子殺害事件で、逮捕されたのは同じ団地に住む18 歳の少年だった。母親を殺害後に強姦(ごうかん)し、泣く幼子の首をひもで絞めて殺した。このおぞましさや残虐さを見れば、死刑は止むを得ないと思う人も少なくないと思う。
無期懲役の一、二審判決に対し、最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と審理を差し戻していたのだ。これを踏まえての判決で死刑は予想できたものだった。少年といえども凶悪で残酷な事件を起こせば、厳罰でのぞむという裁判所の強い姿勢が窺える。死刑とは国家権力が人を殺す行為なのである。国民に重い課題が突きつけられていると思う。
朝日新聞の指摘の通りあなたが裁判員だったらどう選択するでしょう。死刑は当然だとするでしょうか。関心のある方は5新聞の社説をご覧下さい。
母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら 2008年4月23日朝日社説 母子殺害死刑 年齢より罪責を重く見た 2008年4月23日 読売新聞社説 社説:母子殺害死刑判決 厳罰化の流れが強まるが 2008年4月23日 毎日新聞 社説 母子殺害判決 重い課題が残された 2008年4月23日東京新聞 母子殺害死刑 常識に沿う妥当な判決だ 2008.4.23 02:23 産経社説 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら 2008年4月23日朝日社説 勤め先から帰宅した本村洋さんは、押し入れの中で変わり果てた姿の妻を見つけた。生後11カ月の娘は天袋から遺体で見つかった。 9年前、山口県光市で起きた母子殺害事件で、逮捕されたのは同じ団地に住む18歳になったばかりの少年だった。母親を殺害後に強姦(ごうかん)し、泣く幼子の首をひもで絞めていた。 少年は広島高裁でのやり直し裁判で死刑を言い渡された。無期懲役の一、二審判決に対し、最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と審理を差し戻していたので、死刑は予想できたものだった。 被告・弁護側はただちに上告した。しかし、最高裁が差し戻した経過を考えれば、今回の死刑判決をくつがえすのはむずかしいだろう。 少年は父親の激しい暴力にさらされ、母親は自殺した。判決は「被告の人格や精神の未熟が犯行の背景にある」としながらも、「動機や犯行態様を考えると、死刑の選択を回避する事情があるとはいえない」と述べた。 この犯行のおぞましさや残虐さを見れば、死刑はやむをえないと思う人も少なくないだろう。
一方で、もとの一、二審は少年に更生の可能性があるとして、死刑を避けた。多くの事件を扱っているプロの裁判官の間で判断が分かれたのだ。それだけ難しい裁判だったといえる。 判断が難しい大きな理由は、少年が死刑を適用できる18歳になったばかりだったことに加え、被害者が過去の死刑事件よりも少ない2人だったことだろう。最高裁が83年に死刑を選択する基準を示してから、少年の死刑判決が確定したのは19歳ばかりであり、被害者は4人だった。 その意味では、少年犯罪にも厳罰化の流れが及んだと言えるだろう。 今回の事件が注目されたのは、本村さんが積極的にメディアに出て、遺族の立場を主張したことである。少年に死刑を求める、と繰り返した。 被害者や遺族が法廷で検察官の隣に座り、被告に質問したりできる「被害者参加制度」が今年から始まる。被害者や遺族の感情が判決に影響を与えることが多くなるかもしれない。 見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。 1年後に裁判員制度が始まる。市民がこうした死刑か無期懲役か難しい判断も迫られる。事件は千差万別で、最高裁の判断基準を当てはめれば、機械的に結論が出るわけではない。 自分なら、この事件をどう裁いただろうか。それを冷静に考えてみたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
母子殺害死刑 年齢より罪責を重く見た 2008年4月23日 読売新聞社説 犯行の残虐性や社会的な影響を考えれば、極刑以外にはあり得なかったということだろう。 山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死罪に問われた当時18歳の元会社員の被告に対し、差し戻し控訴審の広島高裁が死刑を言い渡した。 「犯行時に未成年だったことが死刑回避の決定的な理由にならない」として、もとの1、2審の無期懲役判決を破棄した最高裁の判断を受けたものだ。少年事件における死刑選択の基準がより明確になったと言える。 差し戻し審では、更生の可能性が大きな争点になった。 判決は、強姦目的で23歳の主婦を殺害、生後11か月の乳児を床にたたきつけ、絞殺したと認定した。そのうえで「冷酷、残虐にして非人間的な所業」と、罪責の大きさを指摘した。 被告弁護側は、差し戻し審で従来の供述を翻し、殺人や強姦の犯意を全面否認して、傷害致死を主張していた。 判決は、これを「不自然、不合理な虚偽の弁解」と退け、「自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑回避に懸命になっているだけだ」と断じた。 被告弁護側の主張が逆に、更生の可能性は見られず、「反社会性が増進」して、「特に酌量すべき事情を見いだす術(すべ)もない」との結論につながった。 少年法は、18歳未満を死刑の適用外としている。死刑を回避したもとの1、2審とも、被告が18歳になって1か月しか過ぎていなかったことを重視していた。 連続射殺事件の永山則夫元死刑囚の上告審で最高裁は83年、犯行の罪質や動機、殺害方法の残虐性、遺族の被害感情、社会的影響、犯行後の情状など、死刑選択の9項目の基準を示している。 これ以降、少年事件で死刑が確定したのは永山元死刑囚を含む2人だけで、いずれも犯行当時19歳、被害者はともに4人だった。 今回は、被害者が2人の事件で死刑が適用された。被害者数だけが重要な要素ではなく、事件内容や犯行後の情状などが考慮されるのは、当然だろう。 来年5月から裁判員制度が実施される。量刑判断に不安を抱く人は多い。極刑ともなれば、心理的負担は大変なものだろう。 被告側は上告した。最高裁には、重大事件の審理に参加する国民のためにも、少年事件の量刑基準を、さらに分かりやすい形で示すことが期待される。
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社説:母子殺害死刑判決 厳罰化の流れが強まるが 毎日新聞 2008年4月23日 山口県光市で99年に起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁は当時少年の被告に求刑通り死刑を言い渡した。最高裁が「量刑は不当で、著しく正義に反する」と、無期懲役の原判決を破棄して審理のやり直しを命じていた。 1、2審判決は、被告の年齢が18歳30日で、母子殺害の計画性はなく、不遇な家庭環境や反省の情の芽生えなど同情すべき事情を認めた。その上で、更生の可能性を指摘して死刑を回避した。 差し戻し裁判で被告は事実関係自体を争ったが、高裁は「罪に向き合うことなく、死刑を免れようと懸命なだけ」と退けた。 死刑を選択すべきかどうかの指標は、4人を射殺した永山則夫元死刑囚(犯行当時19歳)に対する83年の最高裁判決が用いられてきた。犯行の罪質、殺害手段の残虐性、被害者の数、被告の年齢など9項目を挙げ、総合的に考慮しても、やむをえない場合に死刑の選択が許されるとした。 今回の事件で最高裁はこの基準を引用しながら「被告の責任は誠に重大で、特に酌むべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と判断し、凶悪であれば、成人と同様に原則として死刑適用の姿勢を示した。事実上、永山判決のものさしを変えたといえる。凶悪事件が相次ぐ中、量刑が社会の変化に左右される側面は否めず、厳罰化の傾向を反映したとみていい。 しかし、少年法は18歳未満の犯罪に死刑を科さないと規定している。永山判決以降、少年事件で死刑判決が確定したのは殺害人数が4人の場合だ。 死刑は究極の刑罰で、執行されれば取り返しがつかない。「その適用は慎重に行われなければならない」という永山判決の指摘は重い。しかし、死刑判決は増えているのが実情だ。 遺族は法廷の内外で、事件への憤り、無念さ、被害者・遺族の思いが直接、伝わらない理不尽さを訴えてきた。被害感情を和らげるためにも、国が総合的な視点に立った被害者対策を進めるのは当然だ。 差し戻し裁判を扱ったテレビ番組について、NHKと民放で作る放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会が「一方的で、感情的に制作された。公平性、正確性を欠く」とする意見書を出した。真実を発見する法廷が報復の場になってはならない。バランスのとれた冷静な報道こそが国民の利益につながる。メディアは自戒が求められている。 来年5月に裁判員制度が始まる。市民が感情に流されない環境作りが急務だ。死刑か無期かの判断を迫られる以上、市民は裁判員になったつもりで今回の事件を考えてみる必要があるのではないか。 被告は上告した。最高裁には裁判員制度を控えて、国民が納得できる丁寧な審理を求めたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【社説】 母子殺害判決 重い課題が残された 2008年4月23日東京新聞 「死刑か無期懲役か」ばかりに関心が集まり、基本的問題が十分論議されなかったのは残念だ。市民が裁く側になる裁判員裁判の実施を前に、刑事司法について真剣に考え理解を深めたい。 山口県光市で一九九九年に起きた母子殺害事件の差し戻し審は予想通り死刑判決だった。厳粛に受け止めるべき判決だが、ここに至る経緯は異常だった。 犯行当時十八歳と一カ月だった被告を一、二審が無期懲役にすると、ネットや週刊誌などで激しい攻撃が始まった。妻を暴行され、愛児とともに惨殺された夫が、極刑を強く要求し、テレビはその顔をアップで画面にとらえ、詳しく報じた。一部メディアは死刑を求める大合唱の場になった。 無期判決を破棄した最高裁、差し戻し審で死刑にした広島高裁の裁判官が、この影響を多少なりとも受けたことは否定できまい。 その陰で「被害者感情と刑罰の重さの関係」「死刑存廃」それに「刑事弁護の意義」という三つの重要問題が置き去りにされた。 愛する家族を理不尽に奪われた遺族の憤りは理解できる。だが、メディアがそれを生の形で報じると社会の報復感情をあおり立てることになりやすい。被害感情を量刑に直接反映させると裁判が復讐(ふくしゅう)の場になりかねない。 被告は中学時代に母親が自殺、実父が若い外国人女性と再婚するなどして不安定な家庭で育った。そうした成育環境が被告の心に与えた悪影響の論議は、最高裁以降かき消されてしまった。 国際的には死刑の廃止国数が存置国数を上回り、なお増えつつある。日本では真剣な議論が行われないままこの流れに抗し、死刑判決が近年、増加している。 裁判員裁判では、被害者感情への対応や死刑を含む量刑の判断を市民が迫られる。一人ひとりが自分の責任で意見を言えるよう、考えを深めておきたい。 殺意を否認した弁護団に対する攻撃も異常だった。タレント弁護士がテレビで攻撃をあおるかのような発言をし、弁護士会に懲戒を求める請求が殺到した。 どんな凶悪事件の被告にも適正に裁かれる権利がある。それを守る弁護活動が被害者感情、市民感覚と合致しなくても、封じることは許されない。 犯罪への対応はその社会の成熟度を反映する。裁判員裁判に臨むにあたり、刑事司法をわがこととしてもっと関心を持ちたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
母子殺害死刑 常識に沿う妥当な判決だ 2008.4.23 02:23 産経社説(主張) 少年といえども凶悪で残酷な事件を起こせば、厳罰でのぞむという裁判所の強い姿勢がうかがえた。社会の常識に沿った、極めて妥当な判決と受け止めたい。 犯行当時18歳1カ月の少年に死刑を適用するかどうかで注目されていた山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁は元少年(現在27歳)に死刑判決を言い渡した。 差し戻しとなった今回の広島高裁の判決は、被告・弁護側の主張をことごとく退ける厳しい判断を示した。弁護側はこれを不服として再び上告したが、今度は最高裁で確定する可能性が高い。 事件は9年前に会社員、本村洋さんの妻(当時23歳)と娘(同生後11カ月)の2人が殺害された。殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元少年は1、2審では殺意を認めた。1審山口地裁は死刑の求刑に対し、被告が18歳の少年だったことや計画性がないなどを考慮、無期懲役の判決を下し、広島高裁もこれを支持した。 しかし、最高裁第3小法廷は一昨年6月、「量刑ははなはだ不当で、特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と、広島高裁に審理のやり直しを命じた。この時点で元少年に死刑の判決が言い渡される可能性が極めて高くなっていた。 ただ、差し戻し審では全国から集まった計21人の弁護士が「死刑回避」を最大の目標に大弁護団を結成、検察側と全面対決する異例の展開となった。弁護側は法廷で、被告が1、2審で認めた殺意を否定し、事件は傷害致死だと主張するなど、事実関係そのものを争った。 「何とか被告の元少年を死刑から免れさせたい」とする弁護戦術とみられるが、その主張には無理があり、社会常識では到底理解しがたいものだった。 差し戻し審は元少年が供述を変遷させたことなどを「不自然で不合理、信用できない」とし、「犯行は冷酷、残虐にして非人間的な所業である。死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるとまではいえない」と厳しく糾弾した。2年前の最高裁判決にほぼ沿った判断である。 今回の差し戻し審判決は、司法の少年事件に対する厳罰化の流れを加速させることになろう。また、来年から始まる裁判員制度の裁判員にも参考となる判断基準を示した意味ある判決といえる。
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