2004年09月08日(水) |
テロの悲劇は繰り返されるだろう。 |
ロシア南部の学校占拠事件は1000人を超える死傷者を出す大惨劇となった。何が起きどうして爆弾が破裂し、治安部隊の強行突入になったのか、不明な部分が余りに多いと思う。報道によれば武装勢力は多数の子供たちを狭い体育館に詰め込み、水・食料を与えることもなく、抵抗する者を容赦なく殺害したという。子供たちに水も与えず容赦なく殺す、そして叫ぶのが「神は偉大なり」である。人間は他の学問をする機会がないと、かくもマインドコントロールされるものなのか。9月1日に書いたように幼稚な思想ほど恐ろしいものはない。 このテロを計画した当事者がいるのである。抵抗できない弱い子供たちを大量に殺害することでロシア社会を震撼(しんかん)させるという狙いがあったと思われる。悪魔・悪鬼となって、ロシアを震撼させるためには、大量殺害こそがベストと考えているのだろう。もはや、そこには、人間としての最低限のモラルも存在しないのである。少なくとも 今回の事件は、チェチェン独立運動の大義から逸脱し、狂信的な無差別テロへと変質しているといわねばならない。しかし、ここまでの無差別テロに追い込んだのはなぜかという視点を持ち続ける必要があると思う。プーチン政権の「テロには屈しない」とのスローガンを掲げ、一切の対話を拒否している状態では、テロの悲劇は繰り返されるだろう。 「黒い未亡人」という通称が生まれているチェチェン人女性が事件に直接関与している例が多い。先月、モスクワ発の航空機2機が同時爆破された事件も、チェチェン人女性による犯行とされている。なぜ、彼女たちがここまでの行動をとるに至っているかの視点が必要だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 癒しの森385 2004年9月8日 初めて万歩計を付けてみる 5月31日早朝の散歩と題して書いた通り、私の散歩の始まりは5月25日であった。この時の動機は、次のようなものであった。「ドイツの哲学者カントは、毎日決った時刻に散歩していたという。彼の優れた思想は、「座っている時」でなく「歩いている時」に現れたという。この一文に触れ、私も癒しの森の行き詰まりを打破するため、一念発起し早朝の散歩を実行している」というものであった。最初の頃、1時間の散歩はやや肥満気味の私のとってかなりの運動量であったが、だんだんと慣れて来るものである。今朝初めて万歩計を付けて1時間歩いた。万歩計は8000を指し、夜の10時には13500歩となっていた。 私の散歩は癒しの森の行き詰まりを打破するためであったが、答えが有ったのかと自問自答してみた。答えは散歩によって特別なことが思いつくのではなく「動」の中で文章が生まれるという実感である。ヘルシー・ライフを立ち上げ、NPO関連の集まりに積極的の参加している。理由は簡単である。「行動」がなければ文章は生まれないからである。 ・動あれば 映ずる世界 多々ありき 多忙の中で コラム生まれん
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