| 2002年09月17日(火) |
拉致・生きていたのは4人だけだった |
国と国との争いで、過去どれだけの父・母が悲しみの涙を流したことか。太平洋戦争が終わってからは、冷戦と言う狂気が支配していた。
38度線の北側は人口2300万人余りの独裁体制が出来上がっていた。今回明らかになった8件11人の拉致事件は、冷戦の狂気と独裁という異常が生み出した悲劇の一コマだ。
娘めぐみさんの安否を訪ね歩いた横田夫婦の20余年。突然突き付けられた残酷な知らせ。父滋さんは、胸の奥に埋まっていた悲しみがいっきょに噴出したように涙を流し慟哭していた。今は涙が枯れるまで流すしかない。この父と母の涙は死亡したと伝えられているめぐみさんの涙であったかも知れない。 この父母の悲しみは、風に乗って、北朝鮮をさまよい歩くことだろう。戦前、戦後を通じて数え切れない悲劇があった。その悲劇はだれが作ったのか。それは国家であった。
今日本のメデア、そして政治家の1部が、北朝鮮に批判の洪水を浴びせ掛けようとしている。しかし、昭和20年以前は、日本の国家権力は、北朝鮮人の徴用・拉致は日常茶飯事だったのだ。北朝鮮で我が子を失った悲しみを胸の中に埋めている人々も多くいるのだ。
|