バビロンまで何マイル?
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2003年06月30日(月) |
「プロフェッショナル」ということ |
例によってごりごりと実験をしていた時ふと、自分は今の仕事について「プロフェッショナル」であると胸を張って言えるだろうか?と思った。 私は大学に行かず(というか大学全部落ちたし)、専門学校を卒業した後バブルのどさくさに紛れて異業種の医薬研究所に助手として入り、実地で試験手法をたたき込まれてきた。その時の「技術」を売りにして、今の仕事をしている。 だから理論はできてない。それは自分自身が怠けていたせいでもある。ただ、ある時から「理論はきちんとしているが、実験をしているヒマのないほど忙しい(もしくは実験の段階になるとてんで下手くそな)人がいる」ということが分かってきて、そーいう人たちの手伝いをするのが自分の仕事だ、と思うようになってきた。 こういう連中のことをこの業界では一般的に「テクニシャン」と呼ぶ。そして概して、テクニシャンの立場は弱い。うちらみたいな奴は正社員でいる方がつらいかもな、と今は思う。 一時期は屈辱に思ったこともあったけど、自分が「器用な手先」であればいいだけのことだと思っていると、派遣でいることは苦痛ではない。 ある程度技術を磨いてしまえば、派遣での仕事はいくらでもある。「いざとなったらケツまくっちまえばいい」と思えるのは気が楽だ。いつまでやれるか分かんないけどね。
今の私の理想は「町工場のオヤジ」だ。日本の先端技術を支えているのは小さな町工場のおっさん達だというのは「プロジェクトX」でも時々やるから、見たこともあるかと思う。私は「かをるさんの技術が欲しい」と言われるようになりたいなあ、としみじみ思う。そして、今の職場はそう言ってくれたから(その言葉が本心かどうかは別にして)居着いて、1年が過ぎた。一番厳しい職場で、私は派遣社員としての勤続最長記録を更新中である。
私が定期的にメンテナンスを受ける医師。 この人についてから3年弱、私は彼の名前と診療日しか知らない。年齢も出身地も出身大学も知らないというか、聞いたことがない。興味がないわけではないんだが。 ギター持たせて「天国への階段」とか弾かせたら似合うだろうと思うような風貌なので、一度「せんせ、レッド・ツェッペリンとか好き?」と聞いたら「嫌いじゃないよ」と返された。 正直この答えにはがっかりしたのだが(音楽ネタで盛り上がれると勝手に思っていた)この反応、実は間違っていない。私にとっての「主治医」は彼なのだが、彼にとって患者は私だけではないのだよ。 特に精神科の場合、患者と必要以上に距離を狭めるのはお互いにとって良いことではないだろう。以前、元患者の婚約者を殺してしまった精神科医がいたが、これは距離を見誤った最たるものなのではないかと思う。
そのことに気付いてから、こちらからも意識的に距離を取って接するようになった。だからといって他人行儀な訳ではなく、実に熱心につきあってくれる。もっとも、あっちは仕事だしね。 お互い近い系統だと分かっている(私は仕事の話もよくする。その時々で通っている会社も仕事の概要も話すので、時々医者に講釈たれたりする(苦笑))ので、突っ込んで分析をしたりもする。その作業はきついこともあるが、もつれた糸がほどけたときは爽快な気分だ。
時々「私は医者のモルモットじゃない!」と嘆く患者もいるが、私は「何言ってんだか」と思う。内科とかで勝手に未承認の新薬投与されまくりだというのなら(まずそういうことはありえないが)そう言ってもおかしくはないが、精神科の場合、自分の内面に切り込んでいくのはあくまで自分自身の力と判断によるものであって、その場においての医者はセコンド、あるいは単なる記録係にすぎない。精神科医の治験材料になっていると思うのならそいつの認識ミス− 精神科の患者はなぜか、自分を「特別な存在」にしたがる(私にもその傾向はある)− あるいは医者がでしゃばりすぎなんだろう。 自分を「モルモット(動物実験にはモルモット、あまり使わないんだけどね…)」にできるのは自分自身だけだ。
「プロフェッショナル」について考えていたとき、この医者は見かけによらず(笑)プロフェッショナルなんだなと思った。そして、そういう医師に当たった自分は幸せだと思う。
…もっと別のこと書こうと思ってたのにな、なんでこんな事書いちゃったんだろうな(苦笑)。なんか読み返すとカッコだらけだし。 「美しい日本の掲示板 インターネット掲示板の文化論」(鈴木敦史)が意外と面白い(でも正誤表に「逝ってきます」はねえだろ(苦笑))とか、週末にエスプレッソメーカーを買ってコーヒーが(゚д゚)ウマーだとか、どーでもいいけど書きたいことはいっぱいあるのにな。
<<今日のひとこと>> エスプレッソに豆乳は合いません ○6点
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