新しい職場に入って、ひと月以上があっという間に流れていった。バス通勤もなじんで、この街の中心部の駅で人々の色んな顔と服装を目にするのもこれまでの日常になかった場面がまた付け加えられる。
降りるバス停までの約20分も半ばくらいから故郷らしいやさしいなだらかな連山の緑が空気を一変させる。 毎日小さな旅気分まで味わっている。
小さい頃からのなじみの風景。車に乗ってお寺参りの思い出の道。 明日にはそういえば、インドネシアから帰国した兄が夫婦で親戚周りと墓参りに母のもとへやってくる。
天気は週末の朝は夏を思わせるくらいだったけど、またしてもどんよりした梅雨のような曇り空にもどる。去年に兄たちと会ったときは、良い天気だった。老舗のうなぎ屋さんの高い食事。かなり質素だったけど・・。 あれから日本を後に一人、異国の会社へ転職し滞在する兄だった。
弟は肘の抜釘手術入院中だったかな。 その後私は、資格試験の願書作成とか、秋には私も3日間の手術入院を控えていた。入院中に過去問題集を始めるいい時間がもてた。 元気も付いてきたので、バイトでもしようと思った。インドネシアへのチケット代でも稼ごうかなとか、手術の出費がくやしかったりで。 起爆剤になったものだ。
そして半年の間、ファーストフードのハンバーガーと付き合うことになる。裏方でマニュアルどおりに焼いて、揚げて、包んでという作業も慣れるまでのおっかなびっくりを楽しみながら 仕事の息抜きにもなって続けられたものだった。
今はどうかなーと、検討中。もうそんな精神的なエネルギーがあまってない気がして。 通勤時間が長くなった分が大きいかな。
病院は近代的なスタイルで綺麗で機能的なところだ。初代は明治9年に開業していて、いまの院長が5代目だという。 研修会で話を始めて聞いたけれど、頭のきれるビジネスマンという感じのしゃべり方をされていた。
入院患者さんの名前を覚えるのに精一杯の何週間かだったけれど、ナースたちの名前など、把握してしまうまでにはまだ、接触時間が要るようだ。介護士たちは それぞれの個性がやっと、手に取れてくる頃。 どこにおいても、何をしても他人との競争心、自分至上主義の世界との戦いが顔をもたげるものだと、今更にして分ってしまう。現実の分析には疎い自分だということね。 つまり、おばかさん。
介護の仕事はやっぱり好きなことだ。ハンディーを持つ人たちに寄り添う事が自分にとっての喜びを生み出す事、有難うと言ってもらえて、心が潤う事。大事にしていきたい。
掃除、片付け、これまで取り掛かることが億劫だったのが改善されてきたのは、怪我して休んでいた頃にマイペースで頑張ったし、それが楽しさを感じたことの下地もあるのだろうきっと。 最近はちょっと気が付けばもう体が動いてくれるし、朝目覚めてから、もうすぐになんだかんだと動かしたりしたいる。
今までの自分ってなんだったろうかね。埃だらけの散らかり放題の部屋。 みーこの写真を目にして、鼻炎にさせたのは、私だったと、気が付いた・・・。
初めて韓国へ行ったのは2009年の春だったと思う。6年前のことか。 あの頃に真剣に部屋の片付けを考え出した。 今6年が経過して、ここにたどり着いたなあといる感慨を覚える。
日差しのない一日だったとはいえ、扇風機のお世話にはならないといけないようだ。 もう福岡の町で山笠のクライマックスへの序曲が始まる。
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