2012年09月26日(水) |
ドラマの断片の中から見えたもの |
秋の陽射しが眩しい、そして空気が軽い。朝めずらしく遅くまで眠っていた。昨日は救命講習で心臓マッサージの練習で夜の8時まで肌寒の部屋にいたせいか、頭が重くて鼻づまりだ。 出かけようという気力はわいてこない。こんな頭痛も懐かしく感じる。以前ならなじみのものだった。季節の変わり目、人ごみ、空調の寒さ、夜更かし 酒 不摂生。 こんな時期になるとストレスも引き金になって、風邪具合の悪さは身近な存在だったなと思い出した。好きなこと楽しんで、自分のことだけ考えていただけだったなあ。 誰かのためとか 何かのためとかに心を砕く事などなかった。一体何をしていたんだろうね。 そんなことも いろんなことも全てがこの生きてる一度の人生の中でのこと。何一つ後悔をしても始まらない。
父からはメールの返事がこない。書きようが無いのだろう。後ろめたさをくすぐる語調にして書いているから、どう言い訳するつもりか。逃げるだけなんだろうな。これでもう本当に父との縁も切ってもいい、そんな気になってくる。 あの日からちょうど2年が過ぎたわけか。 夢のような気がする。 あの時はただ、兄と父を合わせるための口実に孫の顔を見せたいという義理姉の気持ちから、動いた事。
元気なのか、どうしているのか全く知りもしなかった。絶縁の形で何年が経過していたというんだろう。最後に顔を見たのは、悲しい偶然、気味悪いほどの偶然で墓参りの寺のある街の駅の前で 私を待つ友人の前に突然 車で現れて、道を尋ねている姿に遭遇するなんて・・。それから4,5年経過していた。あのときはそのあまりの偶然の不気味さに軽いノイローゼを経験した。
接触して話をしたのは 電話での会話。20年近く前のこと。それでも短いほんのわずかな言葉だけ。 確かに、後で電話をかけてきたのも覚えてはいる。震える声でさきこさんももう一人のお母さんだから、3人で食事でもしようと、意を決しての思いやりの電話だったことは分かるけれど、その理屈には人間の弱さと身勝手さとが入り混じって、私が耐え切れるものではなかった。
そのまま、いつしか風化してもう 会わないまま向こうの一生が終るまで過ごすのだと思っていたかもしれない。 そして、弟は家庭を築き私たちの存在も必要とせずに、幸せに暮らしていくのだろうと思ってばかりいた。
たまたま、東京へ転勤で本社勤務をしていることを、何のためらいも無く私へ告げた父だった。どんな展開が待つか予測しなかったのだろうか。
口では姉弟をいつか仲良く再会させたいようなことまで言ってはいたが。 私たちが血を分けた肉親を忘れられない気持ちが分かっているとでもいいたかったのだろうか。 そんな人間的な正常な感情は持っているといいたかったのだろうか。
行動はそうではなかったと思う。
何が言いたくてこんな事を書き出したのかな。
母と弟のことが思いがけず あぶりだされた事は自然の当然の成り行きだったのか。私には最初あまり意識してはいなかったこと。 そのことに焦点を当てて、 いつかきっちりと書き残しておきたい。
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