夏の朝だ。雨の匂いも遠ざかって、この真東に向いた窓のカーテンは開けられない。セミの声が暑さを呼ぶようにして光と重なる。うだるような暑さはお昼すぎにやってくるだろう。断シャリタイムを作るべきでその気にもなりつつあるけど、夏色を見るという口実で図書館の緑に会いにもいきたい。
夕方ごろには薬をもらいに行く予約がある。定期の検診だ。もう副作用なしで丸3年が過ぎたから、頻繁に刷る必要ないんだけどな。 あのリューマチの激痛が薬でウソのように治った。 不良医師がドクハラで2年後には寝たきりになるといういい加減なことを言って高い薬を買わせようとして一時は不安を煽られたこともあったので大きな病院に変えた。最初からここへきていたらどうだったろうか・・。 先生もきれいな女性の優しい人だったのでギャップに舞い上がる感じ。勇気付けられて、有り難かったものだ。 大学へ戻るとのことで新しい先生に代わってからも一年以上たつかな。元気で親身ないい先生だ。見てくれる人の存在感、人間性が治療そのもののようにも思える。
夜勤の仕事はやっと慣れて来た。しっかりやらなければという緊張感で、こんなに少ない仕事量でいいのかという気ばかり先立って、どこに大事なポイントを見たら良いのかがわからなかった。そんな理解力のなさでずっと相手が腹を立ててきた。いやいや、今現在もだけど。
ささいな間違いも相変わらず起こしている。箸やスプーンを配るという単純作業で間違ったり、変なことしたりで(箸を手に持っているうちに片方を人の車椅子の後ろへ落としていて、ないから探すと言う無駄な事が生じる。すぐに自分で気づいたから良かったものの、そうでなかったら結構大変な事だった)こんなおかしなことがいつも私の仕事ぶりには付きまとうのだ。
あわてる癖、面倒を省こうとする癖、それを効率と称して、誤魔化す。治らない限りは、仕事は続けていけないかもしれない。 もうすぐ8月にはいれば、丸一年を迎える。本当に早いものだ。 でも本質は簡単には変わらない。変えなければと本気で思っているのか・・。
先日も攻撃的な言動をぶつけてくる2年目の看護士の挑発に乗って、言いたいことをいってしまった。関係は悪くならないだろうと楽観しているけど、まあ、挨拶の言葉が素直に出てくる自分であるうちは大丈夫だと。 ほんのちょっと感情的な言葉、あとは至って冷静で、客観的な思考で話すことしかしていない。 一年前と同じだなあ・・。 相手が違うから、大丈夫なはず・・?
問題も前の職場の人のような、単なる甘えと自己顕示のみというものでもないと思えばいいし。 いつもと同じことがまたおきていくのかな。自分なりにやっているつもりでも、それを否定していくことを使命として、そぐわなかったことをしたと決め付けて、裁断していく人がでてくる。
前のところもナンバー3に甘んじるしかない立場に隠された不満を募らせている人がいて、相手に落ち度を見ると徹底した攻撃をするのを思い出した。そうすることで自分のストレスを吐き出しているようだった。しかも反動なのか気に入った人や、利害関係上有利であれば徹底して上機嫌を見せるような人だった。 なぜかその人には少しも腹が立たなかった。この上ないようないやらしい威嚇のトーンをぶつけてくるのに。どうしてだろう・・。もののあわわれしか感じなかった。私を嫌悪しているようだったけれど、普段は至って、真摯な態度をとるので、甘えられる人だった。逆手にとった私のそんなところも嫌だったのかもしれない。 その人のことを思い出すことは、これからもほとんどないだろうな。
正論ではあっても、いかにも怠慢だと決め付けて怒りをぶつけてきたあの時、汗を流してやって疲労しているスキをあえて付くようにして噛み付くなんて、フェアだろうか。あきらかに足をすくおうとする行為だろう。
圧力を加えられたストレスは神経を鈍らせる。そして絵に描いたような暗くて見難い位置の目視点検の時にそのひと手間を惜しんだばかりに、見落としたとして、危険の可能性を作った作業ミスであるとして重大に取り上げられた。 事なきを得たけれども、一瞬の間に発見が遅れて喉につめたとして、死亡の可能性もあると言えるわけだ。
そのことがあったのが12月の25日。しかも夜中に目が醒めてから、弟へどうしても今メールを送っておきたいという自分の欲で朝までそのまま起きていた。そんな自分の願望を優先していた罰でもあろうか・・。ちゃんとやる自信はあったし、やれていたのだ。 でもイージーミスは多く、そのために仕事の歯車はいつか、道を逸れるようにと待ち構えていたんだと言える出来事なんだろう。自分の心の奥も、そして何よりも職場の人間たちも。 あの日を境にして、私は仕事の流れの中で、最後の点検からはずされる事になった。
かなりショックで辛い思いを味わったけれど、しばらくすると自分特有の思考の誤魔化しに逃げるしかなかった。なんでもないことだと。平然とする態度を示したがった。そしてまた、そのことでの非難が始まった。なんどか面と向かって責めて、挑発してくる上司の態度には明らかな意思が感じられた。じりじりと土俵際へと追い詰めていかなければならないのだと。
そんな中で、父との対面の3月に向けて、気持ちは緊張している頃と重なっている。 この頃は体重もぐんと減っていたと思う。 気が張っていたから、元気でいられた。なんとしても明るく兄たち一家とも会わなければならない。
そして無事にというか、そっけなくというか、兄と父は改装してきれいに大きくなったばかりの駅の待合室で、対面をする。兄は話す気などなかったようだし、なにも感じることはないんだという最初からの姿勢のまま、父が一人で特有の口八丁で喋り続けた。
その姿が切ない。私は父の真後ろに立って、その気持ちを送っていた。 兄は生まれつきの穏やかな笑顔の地顔であきれたように口元をほころばせた。握手を求める父。そして兄は座る事も無く、時間だからと、ホームへと去って行った。
見送りのために父の分の入場券を買ったからと告げに行くと、嫌がるのでそれもできず、私は父の横へ戻って、兄がわざと?なのか弟と会った事を”宗二はしっかりしているから心配はいらない”という言葉で知らせてしまったことを説明しなければと話し始める。 あんなことを言う必要があったのか、何のつもりだったんだろうかと今になって思う。
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