**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2012年07月09日(月) ”9”の日に涙した

仕事に慣れてきて、その分の悩みも薄れてきたのに、ぐっすりと眠れないでいるのを分析しないといけない。 リアルな夢、明晰夢というのかな、それが続くので眠りが浅い。気持ちのよくない夢ばかり見る。普段の自分はそんなに機嫌悪いわけではないと思うけど。不満とか怒りとかを抱えているとは思っていない。  去年の今頃は弟がお盆の頃に手術することでの心配と新しい環境へ変わることへの不安と期待とで、真剣な思いをしていた。 今現在の自分はその枷が外れて、心の圧力がない。 でも開放感があるわけでもなく、夏を前にしてこれまでのような、浮いた気分に少しもなれないでいるのは、やっぱりどこかおかしいだろうな。

先週だったか父親は呑気にFBの友達リクエストなんぞを送信してくる。
私も心の片隅でこんなところで互いのやり取りができるといいのではと考えた事もあった。 私の心は硬くなって動けない。苦しんでいる弟のことを考えたら、私という存在は一体何なのだろうか。 親を素直に愛することができなくさせたのは、親自身の言動であること。そのことについて、一体どうやって救えるのだろうか。 ふとした孤独の重みにずっと耐え続けるだけで一生を終らなければならない弟だというんだろうか。 そんな事を考えると、母に甘えたい自分への後ろめたさが湧く。でもそれっていうのも、何か理不尽な気もしてくる、この宙ぶらりんな思いが苦しい。 割り切れない思いを抱え始めた事に気がつく。弱い自分に負けていくのか。

野菜を嬉々として、食べていた時期があったのに、最近そうならない。目先のコンビニのお菓子とビールを求めるようになっている。こんなところに何かが現れている気がする。

今日はまじめにもトイレをきれいにしたりも、したのだけど、料理する気になれない。何だろうこの気持ちは。 父親を嫌い排除し、孤独を抱える弟。何度か話をしてきて、何も展開はなかった。無駄なんだろうか。私がどうにかできると、考えた事。 いや、どうにか今しなければならない時がやっと、来たんだと考えたのだ。 これまでと同じく日常の生活に追われて、またあやふやなままにしておくつもりか。 私が30代のときに、どうにも動こうとしなかったこと、知恵も真心もなくて、自分の快楽にばかり目が行って、お酒を飲んだくれて、まともな男性一人捕まえる事も出来ないでいた自分を恥じて、一流会社で活躍する弟の前に出る事はできなかったこと。そんなことが思い出される。

また同じ事を繰り返すんだろうか。 自分に自信がもてないのかもしれない。 もう若くはないなと外で鏡をみるたびに思う。笑顔はあるけど、もう勢いのようなものがないのだ。張りと言うか。それはそれで、特別に不満でもなく、それもまたよくないのかもね。意欲を持つと言う意味では。
不安もないけど、期待もないというこの感情ってなんだろう。

左の手は悪化というよりもやや、回復というところだ。これまでと違って、指先の力や動きはあると思う。曲がってしまう中指の動きはもう仕方ないようだけど。デジタルピアノを弾くと良く分かる。薬指と中指の立ての動きが壊れてしまっていること。指がぼけている分だけ頭の思考もぼやけるのかな・・。 いろんなことを素直に淋しいと正直に感じることすらできなくなたんだろうか。 建前、強がり、優しさに隠された甘え、自分のこと胸を張っていられるだろかと言う気がしてきた。人にいじめられて、無視される経験。日常の仕事のなかで、見ようと出来ない事がある。それって、トイレ掃除をやったおかげで今、意識を向けて書けたことかも知れない。

私は10代の多感な時期に友達との交流をしてこなかったこと。これも家庭の負い目と関係することでもあるし、まともに振り返ったことがない。もっとも自分の中の大きな問題であったこと、ずっとそれが今現在まで生きる中での核であったことにすら気がつこうとしなかったこと。今何かはじけるようにして、心に浮かんできた。 心の中で・・In my heart of hearts
まさにそれだ。。

今日は 何日でしょう・・。そう「9」日である。


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