やっと大降りの雨がお目見えした。雨音のざわめきを耳にして、思わず外を見たくて、ベットから起き出したのは、目覚ましのベルが鳴る前。 いつもと違う白く煙るほどの雨を眺めて、出勤の時間でないことを幸いに思ったり、もしずっとやまなかったら怖いなとわずかに緊張したりする。
この分だと何事もなさそうではある。・・かな。また大きな雨粒になった。 いやいや、一瞬で終った。
目が醒めたのは、それだけではない。またリアル夢。ちょっと切なくて、いじきたない夢。バイキング料理を母のために一生懸命取ろうとするけれど、あれもこれもと終われなくて、ずっと待たせている。席がずっと遠くで、心配しながらも帰れない。 戻ろうとしたら、なぜか外に出ていて、山道。 すぐそばは崖になっている道をどうやって歩こうかと戸惑っている私。 映画でもみるようにリアルなので、それが気味悪いのだ。
今は何があったとしても、ネットを通じて知った、伊勢ー白山 道 というサイトのおかげで人生に向かう力が得られる。生きていく中の神秘のひとつとさえ思える、大きな出来事ではないだろうかと思うくらいだ。
下書き代わりに長年使わせてもらっているこの日記に気持ちをその場で走り書きのようにしている。 ブログがいろいろあって、楽しい事も知ったのは、切っ掛けになったがそのサイトだった。 それでこの日記の他に何と5つも作って、それぞれを楽しんでいる。
最近続けて、缶ビールを飲んだせいか右手の人差し指に久々の腫れがきた。 アルコールはコンビニで手を出さないでがまんしている。でもスナック菓子は口にしてしまう。あのカリカリという歯ざわりを好んでスッキリする。
昨日は何時頃にじゅうたんの上に横たわったんだろう。そのまますぐ熟睡していた。体も脳も衰えているのか、衰えさせているのか。働きは悪いのは間違いないといえる。 常に頭が詰まった感じがする。
時間はあるものではなくて、作るものだとこの頃切に思える。自分から進んで動かない限り、時間は出来ないということ、現実の厳しい事実だな。
海外のペンパルには憧れていたものだ。すんなりとできるものでもないと勝手に決め込んで忘れてもいた。 けれど、思えば実際の生きた言葉で手紙なり、メールなりのお互いの体から出てくる言葉のやり取りこそ、本物の学習なのではないかと今 改めて感じている。 あれだけお金を使って、スクールへ通い、テキストを使い、英語に触れた気になってきたのに、そのままではプラスチックでできた料理見本でしかないのかもしれない。
何気にサイトに出ていたリンクであたらしい英語学習サイトへ行って見て、登録した。まもなく、メッセージがやってきた。たまたま、その人はアメリカ兵でカブールに駐在しているという人だった。 気軽にメールのやりとりをしてみる事にした。
おとといの日曜の夜のこと。ふとコンビニへ足が向いた。ちょっと小腹がすいたので、おやつを買いに行きたくなったのだ。 アパートの前には道路が整備された5年ほど前につくられた花壇がずっと手入れなしに放置されている。 やっと今年なって、その雑草しかない花壇に見栄えのいい植物が植えられるようになった。 その日コンビニから戻ると花壇には小雨の中、カッパを着た人が花を植えている。思わずありがとうございますと声をかけた。 出入り口の目の前なのでそこはいつも目に飛び込んでくる場所だ。
よく見ると女性だった。近所の方かも知れない。笑顔で向こうも話しかけてこられたので、聴いてみればなんと国土交通省の係長さん。今お金をかけずにここまでやれるいうことを証明してみせたいとのこと。 葉肉植物といってそれを植えると雑草がかなり押さえられるらしい。 一部の花壇でそれを実験的に行っていますという小さな看板とともに整備されていたが、この花壇がなされないことで苦情の電話がきたとおっしゃっていた。
しかし小雨の夜にご苦労様なことで、部屋に戻ってコーヒーを持って行った。名刺と携帯電話まで教えてくれて、ここは自由に手入れをしてもらっていいし、苗がいるときは、取りにくればさしあげますとのことだった。
な〜んだ、それならそうと、早くに何らかの形で告知でもしてくれてたらよかったのにな。勝手に触るのはいけないだろうと思い込んでいたけれど一度だけ雑草を取ったことがあった。 こんな草でもあきれるくらいに根がしっかり張っていて、土仕事ってこんなに疲れるのかと思ったものだった。
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