ムラカミ日記...ムラカミ

 

 

春を駆ける - 2003年04月02日(水)

ヲタ語りです。すみません。

春です。
原作の当初の時間軸だと今年の春で彼らは高校卒業ですが。

自分としては無理遣りでも、筒井さんは加賀と同じ学校に行くだろう、と思ってそういう風に書いた。(その前にまず、加賀は進学するのかという辺りも怪しいのだけれど。ワタシは取り敢えず、当たり障りのない有名私立あたりに入っているということにした)(イヤでも、少し考えれば加賀が将棋の方でプロになれるだけの実力持ってるかだって定かじゃナイんだよな…。自分幾つの仮定の上で真剣に考察して居るんだか)
だからといって筒井さんが、主体性の丸でない男の子だなんて考えている訳じゃない。寧ろ普段はありすぎるくらいだと思っている。でも、『加賀と離れる事』には不必要なくらい敏感でいてくれたらな、と。
勿論その結論は全然前向きじゃないと思う。相手に合わせて自分の道を変えていってしまうことは決して賢くない。いつ無理や軋みが生じてもおかしくない。ワタシが友達だったら止める。
でも、全ての大前提に「二人で生きていくこと」を考えているのだとしたら。いくら馬鹿馬鹿しくても後悔だけはしないだろうと。相手が自分の運命と信じることの出来る人ならば。

リアリティがない。と自分でも思う。彼らの関係性を考えたときに、(仮にそれがレンアイであったとしてもだ)学生時代の通過点でしかない恋、である可能性だって十分に考えられる訳で。イヤ寧ろそっちの方が健康的ですらある訳で。
それでも自分は其処に奇跡を見いだしたくて仕方ないらしい。
所詮は夢見がち。

お互いでないとお互いを幸せに出来ないなんて言うのは浪漫。不変の愛だなんて普通に生きてたらまずお目にかかれない。それでも、ワタシの中にもほんの欠片なら在る「変わらない想い」を拡大解釈して。
騙しだましそんなフィクションを紡ぐ。


でもまあそれはそれとして、加賀の性格上、一度執着した相手は死ぬまで手放さそうなんだよな…。惚れたら墓場まで連れて行くぜみたいな。どうしても別れるというのならオマエを殺してオレも死ぬみたいな。なんてーの?昭和40年代の邦画のちんぴら臭がするんだよ。イヤもうカガツツ自体40年代臭だからなあ…。だから無駄にアッツイのか。エキサイツなのか。イノチガケだぜ全くよう…



...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will