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ボタンのかけちがい / 2004年09月24日(金) |
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みたいな一日でした。 すれ違いばかり。 妙に疲れてしまった。 夜は『ジャンヌ・ダルク』を腰をすえて観てしまった。映画の時はちょっと興味はあったが、結局観に行かなかった。 結末がわかりすぎているというのが、史実を基にした映画やドラマの辛さでもある。それをどう描いていくかは、監督とか脚本化とか役者とかの手腕にかかるわけだけど。 前半のジャンヌはファナテイックで、神がかった目や言動が目を引く。 幼い頃、初めて田舎の村で神と出会う。そのシーンはとても美しい。風が起こり、雲が流れ、鐘が鳴る。そして、草むらに十字架の形に手を広げ、寝転ぶ少女の横に剣が忽然と現れる。森の中の石の椅子に座っている神、もしくはイエスを髣髴とさせる少年の瞳も美しい。 イギリス軍によって村を蹂躙され姉を殺され、神の啓示を受けたジャンヌは予言の少女として王太子シャルルに謁見し、彼をフランス国王にすることが神の啓示であると告げる。 このシャルルって、小物で、どうみても自分の利益のためにジャンヌを利用し、いらなくなったらポイッした人物なのですが、小物ぶりっぷりはなかなか良かったです。 そして、ジャンヌに付き従う兵や将軍たちは、次第にジャンヌを敬愛するようになる。特に、ジル・ド。レィ役のヴァンサン・カッセルは一癖あって、シニカルでカッコよかったです。ヨーロッパの剣は日本刀と違って、斬るのではなく、叩くに近い。その獰猛さが戦い方によく出ていた。 後半はシャルルが戴冠して、ジャンヌの存在が邪魔になり、あえて敵に捕らえさせるところから始まります。 ジャンヌは宗教裁判にかけられる過程で、かつて幼い日にあったイエス、もしくは神の姿をした隠者の幻を見るようになる。ふたりのかけひきは禅問答にも似ていて、キリスト教を知らない人にとっては、難しいテーマに入っていく。 キリスト教の神はイエスを十字架の上で人類の贖罪として死なせたように試す神、信仰のために全てを捨てさせる神。牢獄で、幻、妄想ともいえる隠者と会話を繰り返すジャンヌ。そして、たどりつくのは、幼い日の願いのすべては自分の願望の選んだ可能性にすぎず、自分が愚鈍で傲慢であったことを懺悔する。 ラストシーンはもう言葉は無い。そこにあるのは殉教であり、青灰色の瞳はファナテイックから静かな信仰へと移っていく。 「我が神我が神何故を我を見捨てたまえり?」 炎の中で、またジャンヌも呟いたのか、それは知りようも無い。 |
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