17番の日記...17番

 

 

能代工業、訪問 - 2004年09月15日(水)

東北道中も終盤。今日は秋田に行き、能代工業に行ってきた。
一両編成の五能線に揺られ、能代に到着。ホームにはバスケのゴールがあり、「バスケの街・能代」と書いてある。

駅前は商店街っぽい造りになっているが、シャッターが下りたままの店が多く、活気がいまいちな感じ。能代工業は駅から歩いて20分程のところにあった。その間、コンビニが一つもなかった。たいして遊ぶような施設もなく、能代工業バスケ部員は、このような誘惑のない街で体育館と合宿所に隔離され、日々技を磨いているのだろう。

正門に入ったすぐ左に、バスケをプレーする人を象った銅像があった。学校全体のPRが全てバスケに基づいていた。

なんでここまで能代工業の名前が、バスケに興味がない人までに浸透していったのか。理由は二つあると思う。一つは田臥勇太の存在、もう一つは「スラムダンク」の存在。

田臥が1年〜3年の間、インターハイ、国体、ウインターカップと、3年連続3冠という偉業を成し遂げた。そしてメディアが大きく取り上げた。田臥の小さな体ながらボールを魔法のように扱う仕草に多くの人は魅了された。

その田臥が全国から注目されたのは、「スラムダンク」がブレイクした直後だった。山王工業のモデルとなった能代工業。田臥と、「スラムダンク」の人気が相乗効果として表れ、能代工業の名は様々な人たちに認知された。田臥と「スラムダンク」のブレイクのタイミングが合致し、もたらした結果と言えると思う。

余談だが、うちの母校が4年前のウインターカップで能代工業に勝っている。スラムダンクでは大会こそインターハイだが、なんとその他の設定がほぼ同じなのだ。母校が一回戦を勝ち、第一シードの能代工業と対戦。一点差で勝利。この時の能代工業はインターハイを制しており、優勝候補筆頭だった。スラムダンクでは、湘北が一回戦を勝ち、第一シードの山王工業と対戦。湘北が一点差で勝利。

しかも、その試合で母校に勝利をもたらす大活躍した選手の名前は桜井。ちなみにスラムダンクの湘北は桜木・・・。ここまでことごとく共通点があるというのは奇跡と言っていいんじゃないでしょうか。

そんなことをふと思い出した能代訪問でした。



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