17番の日記...17番

 

 

多田野数人 - 2003年07月02日(水)

今週の「週間ベースボール」の表紙に、ずっと気になっていた選手の名前を見つけた。多田野数人。高校野球、大学野球を観る人であれば知らない人はいない。僕が初めて多田野を観たのは大学一年生の時の六大学野球春季リーグ戦、法政ー立教戦だった。法政が優勝に王手をかけたこの対戦で多田野は第一戦先発、第二戦中継ぎ、第三戦先発とフル回転の働きを見せた。結局法政が二勝一敗でリーグ優勝を決め多田野の頑張りは報われなかったが、僕は多田野をこれからも見続けたいと強く思った。六大学野球で活躍し、プロに進み、日本球界を盛り上げてほしいと思った。

忘れもしない、去年の六大学秋季リーグ戦。法政ー立教戦。第一戦、第二戦とも多田野が先発することはなかった。事前情報を何も入手していなかったので「怪我でもしたのか」とその時は思った。試合を観終わり、神宮球場を後にし、駅でスポーツ新聞でも買って帰ろうと思いキオスクの前に立った瞬間、目を疑った。東スポの一面に多田野に関する記事が載っていたのだ。多田野の名前は伏せてあったが「甲子園経験があり六大学野球で活躍しており横浜への自由獲得枠での入団が確実の投手」と書いてある。間違いなく多田野のことである。内容は今更書くことはないので省略するが、内容は多田野の人生をどん底に突き落とすものであった。

マスコミは事実を伝える義務(権利)がある。しかし、人の人生を左右する権利はない。多田野は世間に対して迷惑をかけたというのか。断じてそれはない。多田野も野球プレーヤーの前に一人の人間。様々な趣味を持っていて当然。まして、多田野は野球で評価されている人間であり、それ以外のところで多田野を評価するのは筋違いである。この記事は「面白さのみを求める野球には興味の無い人間を対象にした記事」以外のなにものでもなかった。多田野本人、そして多田野の家族に対する配慮は全く感じられなかった。

この記事が一因となり、横浜は即戦力として期待していた多田野の指名を回避。一時は野球界において、多田野の名はタブーと化した。多田野が高校、大学でこれまでに積み上げてきた野球の実績は、心無い記者が書いたつまらない記事によって打ち砕かれてしまったのだ。

多田野は日本球界での居場所を無くしてしまった。

今年3月、多田野は海の向こうアメリカでクリーブランド・インディアンズとマイナー契約を結び、現在はAA級アクロンに所属している。6月27日現在の成績は14試合1勝1敗、防御率0.87。

僕が一番心配したのは日本人に対して心を閉ざしてしまわないか、ということだった。しかし、今週の週べを見て安心した。記者の質問に対してきちんと受け応えしていた。

「日本に後押ししてくださる方がいるからこそ、好きな野球を続けられています。どんなに苦しくても諦めないので、応援よろしくお願いします」(週べから抜粋)

良かった。多田野が日本を捨てていなくて。


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