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  2001年12月10日(月)   「夏至」  

☆ベトナムの空気の色

 「これで、始められます」と館主のおじいさんが
 初日の初回に入った二人きりの観客に、
 ほっとしたように言いました。

 「夏至」という映画です。
 三姉妹が主人公の、それぞれの日常の悲喜をお洒落に描いたもの、
 ということだけは知っていました。
 ベトナムのイメージは、いまではずいぶん
 やわらいだものになっていて、それこそ現地でも
 戦争を知らない世代が増えているのでしょう。
 アジア的で叙情的なインテリアや食文化は、
 ここ数年、アジア雑貨の特集雑誌などで
 必ずといっていいほど登場しています。

 それでも、何がベトナム的なのか、と
 いわれると、これというイメージを持っていませんでした。
 もちろん、訪ねたことはありません。
 アメリカ映画で観てきた戦争の場面ならいくらでも
 あるのですが、それは戦争という極限状況の描写です。
 「青いパパイヤの香り」の監督が
 撮った珠玉作品ということで、前作を観ていない私には、
 ほんとうに、どんな映像なのかも含めて未知の世界。
 映画を観ることでベトナムを知るという目的もありました。

 ベトナムは、18世紀までは中国との独立戦争や内戦に
 よって長い混乱の時代がありました。
 18世紀末にはカンボジアとともに仏領インドシナ連邦とされ、
 第2次大戦では日本に占領され、
 日本の敗戦後はフランスからの独立戦争。
 さらにこじれていって、
 アメリカにとっても悪夢であった南北ベトナム戦争を経た国。
 その後またカンボジアの内戦にも介入しましたが、
 ドイモイ政策が自由化を進めた結果、
 1995年に、やっとアメリカの経済制裁が解かれ、
 国際社会の 一員として認められました。
 --これが歴史的背景としての、一応の、前知識。


 映画に映されていたのは、女性達のたおやかな美しさ。
 黒いつややかな髪と、やさしいまなざしの奥にあるもの。
 アジア的大家族としての、きずな。
 緑を主調においた、しっとりした空気の色。
 明るく透明な光と、激しい雨のなかでのびてゆく生命のイメージ。
 これまでイメージに強く残っていた都市ハノイの雑踏は
 夜のなかでわずかに描かれ、
 主人公たちの経営しているカフェや、家の内側、
 風光明媚な秘境めいた土地などが主な舞台となっています。
 彼女たちのお父さんとお母さんの命日は
 1ヶ月しか離れていなくて、
 その二つの日をめぐる三人三様のドラマ。

 末娘リエンを演じたトラン・ヌー・イエン・ケーは、
 「青いパパイヤの香り」(1992)出演後、監督の公私ともにわたる
 パートナーになっています。
 フランスで映画を学んだベトナム生まれの若い監督らしく、
 光と影をバランスよく配した、抑制のきいた繊細さ。

 仏教的な場面では13世紀頃まで公用語だった漢字も見られるし、
 家事の道具は天然の素材が多くてどこかなつかしい。
 部屋のつくりは都会なせいか、かなりヨーロッパ的。
 やはりビーズの暖簾やおしゃれな布のカーテン、
 あふれる花は雑貨の王道。すべてが自然にセンスよく
 ひとつのトーンにまとまっています。

 朝食は路上で買うのが普通のようで、ちょっとうらやましい。
 特に末娘のコスチュームは部屋着が主なのでシンプルなのに、
 はっとするような美しさ。
 彼らの普段使っている文字は映画には出てこなかったようですが
 語られる言葉はやわらかく、美しい抑揚です。
 それにしても、男性陣ときたら…(以下略)


 そして思いました。
 こういう映画が、いまの日本を舞台にして
 撮れないはずはありません。

 伝統の文化や風習を受け継ぎながら強く生きている女性たちは、
 日本のどこにでもいます。
 戦後、なにもかも均一化されて、特徴がなくなったなんていうのは
 ある種の思い込みにすぎないことも事実。
 どうか、女性の監督にそういう映画を撮ってもらいたいものだと
 思いながら帰りました。
 まあ、似たストーリーとしては谷崎潤一郎の「細雪」が
 そうなのかもしれませんが、
 かといって決して「サザエさん」ではない、
 むしろその間にあるもの。
 かつて巨匠といわれた監督たちが
 描いた世界の味わいを、ほのかに思い出させるもの。
 感性をもって日常の美を描いていくには、そして、
 そんな映画が世界で珠玉の作品として受け入れられるには、
 いまの日本にあふれている若い世代の「センス」と、
 戦後60年たって、浮かび上がってきた日本的な洗練さを
 ミックスした映像というのも、
 ひとつの要素ではないでしょうか。 (マーズ)

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 ・「夏至」公式サイト:http://ge-shi.com
   監督・脚本:トラン・アン・ユン
   2000年カンヌ国際映画祭正式出品作品